聞き手/酒井 耕一(日経ESG発行人)

全国61カ所の郊外型戸建住宅地「ネオポリス」に、新たな魅力を創出する取り組みを始めた。多様な事業を手掛けるグループ力を生かし、高齢化や気候変動などの課題解決につながるまちづくりに挑む。

大和ハウス工業は住宅メーカーの枠を超えて、事業を多角化しています。どう事業の幅を広げてきましたか。

芳井 敬一 氏(以下、敬称略) 現在、戸建住宅、賃貸住宅などを扱うハウジング領域のほか、商業施設、物流施設などのビジネス領域、ホームセンター、介護施設などのライフ領域と幅広く事業を手掛けています。社会課題の変化に対応し、それを解決しようと事業を広げてきた結果、今の形になりました。

 例えば、当社は多くの介護施設を造っています。きっかけは、最高顧問の樋口武男が、病院の先生から介護福祉施設の必要性を聞いたことでした。これからは高齢化が大きな問題になると1989年、社内にシルバーエイジ研究所を設立し、以後、介護施設や介護環境の研究を続けてきました。自治体や病院に張り巡らせたネットワークから情報を得て、介護施設の建設を進めることができました。

 2016年には消費者の即日配送に応えるため、東京の中心に位置する江東区有明にファーストリテイリング様の物流施設を造りました。20年10月には千葉県印西市でデータセンターの建設に着手しました。いずれも、これからの時代に必ず求められるものです。

「世の中の役に立つからやる」

時代や環境が変化する中、社会課題の解決に向けた事業にこだわり続けるのはなぜですか。

芳井 敬一(よしい・けいいち)
大和ハウス工業 代表取締役社長 CEO
1958年生まれ。81年中央大学卒業、90年大和ハウス工業入社。11年取締役上席執行役員 海外事業部長 海外事業担当、13年取締役常務執行役員 東京本店長、16年取締役専務執行役員 東京本店長 営業本部長、17年代表取締役社長、20年10月より現職(写真:村田 和聡)

芳井 創業者・石橋信夫の「儲かるからではなく、世の中の役に立つからやる」という精神を受け継ぎ、そこにこだわって事業を手掛けているからです。

 装着型ロボットを手掛けるサイバーダインに出資しています。歩行に障がいのある人が歩けるようになる可能性があるロボットだと知り、「世の中のためになる」と出資を決めました。儲かるか否かという基準で考えたものではありません。

 石橋が書いた『わが社の行き方』という本はわが社のバイブルです。読み合わせをしたり、直接見聞きした人が伝えたりして、創業者の思想や言葉は歴代の社長、会長に引き継がれています。売り上げ規模が少しずつ大きくなってきた頃、石橋は、「会社がここまでになったら、我々は公器やで」と言っていたそうです。創業者の言葉は一丁目一番地。社内にしっかりと浸透しています。

事業を広げる上で、住宅メーカーとして何が強みとなっていますか。

芳井 BtoCビジネスがベースにあることが強みです。個人のお客様はもちろん、法人のお客様も、最後は人です。丁寧に向き合い、必要とされることを実践しています。前社長の大野直竹は、「僕らは住宅の心を持った建築屋」と言っていました。私はこの言葉を大切にしています。

 住宅の建設においてはある程度名前が通っています。しかし、物流施設や工場の建設となれば他にも有力企業がたくさんあり、お客様に選んでいただくのは容易なことではありません。そこで選んでいただくために、知恵を絞ってきました。

 例えば、土地オーナーはどんな企業がテナントになってくれれば安心か。一方で、事業展開の拠点を求める企業はどんな土地を求めているのか。両者のニーズを結びつけて提案して、建物は大和ハウス工業が建てるという方法を編み出しました。

 この事業は土地オーナー、テナント企業、大和ハウス工業の三者のバランスが重要です。土地オーナーが高い賃料を求めればテナント企業は苦しい。我々が高い建設費を求めれば土地オーナーが苦しい。正三角形をつくるコーディネートは非常に難しいのですが、我々はそれをやり遂げ、ユニクロ様のロードサイド店舗などを数多く手掛けてきました。

高齢者が笑顔で働くまち

まちづくりで新たな取り組みも進めているそうですね。

芳井 かつて手掛けたまちを“再耕”する、「LivnessTown(リブネスタウン)プロジェクト」を推進しています。再耕とは、私たちの造語です。元通りに再生するのではなく、新たなまちの魅力を創出したいという思いを込めています。

 我々は1960年代以降、郊外型戸建住宅地「ネオポリス」を全国に61カ所開発してきました。土地と家をセットで提供し、多くの人のマイホームの夢を叶えたのです。しかし、50年以上が経過した今、それらのまちは少子高齢化による地域コミュニティの希薄化、空き家の増加などの課題に直面しています。このままではまちの活力や魅力が失われてしまいます。

 かつて我々が叶えた夢の続きをどう見ていただくのか。まちをつくってきた我々には責任があります。