聞き手/安原 ゆかり(日経BP 総合研究所上席研究員)

創業から55年、石坂産業は産業廃棄物処理の在り方を一新させ、業界変革のきっかけをつくった。ごみを資源にする技術を基礎に、自然・地域との共生で循環型社会を目指す。

2002年に2代目社長に就任して以来の改革について、その思いをお聞かせください。

石坂 典子(いしざか・のりこ)
石坂 典子(いしざか・のりこ)
石坂産業 代表取締役
高校卒業後、米国の大学に短期留学。父親が創業した石坂産業に1992年入社。2002年社長就任。18年、日刊工業新聞社優秀経営者顕彰「第35回記念特別賞」「優秀経営者賞」受賞。エイボン女性年度賞「ソーシャル・イノベーション賞」受賞。21年、経済広報センター「21年度企業広報経営者賞」受賞(写真:中島 正之)

石坂 典子 氏(以下、敬称略) 1992年の入社当時、多くの顧客企業は産廃処理のコストしか見ていませんでした。料金の安さだけで業者が選ばれる一方で、産廃処理現場の労働はとても過酷です。社会に不可欠な仕事なのに、社会的評価は極めて低かったのです。大きな転機が99年、隣接する所沢市の農産物が「産廃工場から出たダイオキシンで汚染されている」と報道されたことです。

 間違った報道だったのですが、周辺で最も規模が大きかったわが社は、住民から撤退を迫られ、顧客企業から取引停止を言い渡されました。産廃処理が社会に必要な存在であることを理解してもらい、地域に愛される努力をしなければ生き残れないと決意しました。

その後、どのような取り組みを進めたのでしょうか。

石坂 まず、ごみの焼却事業から撤退しました。粉じんが外に飛ばないよう、廃棄物の処理を屋内で行うプラントを40億円を投じて造りました。企業姿勢が変わったことを社外に示すために従業員教育を基本のマナーからやり直し、ISOの各種基準をツールに、その認定プロセスを活用しながら、社内の仕組みを作ってきました。

現在、廃棄物の減量化・再資源化率は業界トップ水準の98%です。これが実現できた背景をお話しください。

石坂 2002年に建築系産廃処理に特化することを決定し、処理プラントを独自設計して半年後には稼働させました。当初はうまく動きませんでしたが社員の現場力を生かして改良を重ね、ISOの認証も取得、2年かけてトラブルをなくしました。

企業ビジョンである「ZERO WASTE DESIGN」について説明してください。

石坂 社会に「リサイクルを前提にしたものづくり」を働きかけることです。例えば児童用のランドセルはリサイクルの要望が多く寄せられますが、糸や金具などを革から一つひとつ外すなど作る時と同じプロセスが必要になります。もし、最初から簡単に分解できるように作っていれば、リサイクルしやすくなります。ごみを資源として循環させるために、ものづくりの段階から「ごみにしない」ためのノウハウを企業に提供しています。