私たちの行動や思考は、「情動」の影響を強力に受けている。この仕組みを理解することが、リーダーシップを発揮する上でも重要になる。

 企業のビジネスモデルは、労働集約型から知識創造型への移行が進んでいます。人の力は、企業経営にとってますます大切になっています。そのわりに、人間の行動力が発揮される仕組みについては、あまり考慮されていないように思われます。今回からシリーズで、人の行動力の源泉である「情動」を掘り下げ、組織への生かし方を考察していきます。

「情動」とは何か

 想像してみて下さい。3万年前、あなたは狩猟採集で森の中を歩いています。カサっと音がして振り向くと、10m程先に大きなトラの2つの目がこちらを向き、狙いを定めています。思わず、凍り付きます(すくみ反応)。心臓はバクバク鼓動し、呼吸も早くなります。なぜでしょうか。

 全身に血液と酸素を送って、逃げるにせよ戦うにせよ、生き抜く行動を取るためです。特に脳と筋肉の血流が増します。感覚を研ぎ澄まし、生存するための行動を取る態勢に、全身が瞬時にセッティングされるのです。逆に、こんな時に悠長に3時間前に食べた木の実を消化している場合ではないので、胃や腸の血流は落ちます。この一連の全身反応は、無意識かつ自動的に生じます。生存に向けて無意識のうちに全身が調整される。こうした反応を「情動反応」と呼びます。

 情動は、英語で言うと「emotion」。「motion」は「動き」を指します。「e-」には「外へ」という意味があり、e-motionは「外に動きを出させるもの」。情動とはつまり、行動を起こさせるものということです。

 世界的な生物学者のE・O・ウィルソン氏は、こう述べています。「情動とは、ある危険から遠ざかり、特定の利益になるものに近づくために、脳や身体全体を調整し、調和した行動を起こさせる生き残りのメカニズムである」。生物の長い進化の歴史の中で、こうした反応が磨かれた種が生き残り、今の人類に至ると考えられます。

 ところで、現代の私たちは、突然トラに襲われる状況に陥ることはほとんどないでしょう。働く人にとってのストレッサー(ストレスを与えるもの)とは何でしょうか。

 もし、職場の上司が“トラ”だったら? 本物のトラと向き合う時間は数秒、長くても数分でしょう。しかし上司とは、毎日のように少なくとも数時間会い、その関係は場合によって何年も続きます。上司と向き合うたびに心臓はバクバク、呼吸は速くなり、胃の血流は落ちます。そのうち胃潰瘍になることもあります。自律神経失調です。

 ストレスに対する心身の反応は元来、生物の生存にとって不可欠な情動の反応ですが、長期間続くと消耗してしまうのです。

身体、感情、行動に影響

 情動反応は、(1)心拍や呼吸などの身体反応、(2)感情や思考、(3)実際の行動─の主に3つに影響を与えると整理できます(下の図)。興味深いのは、情動がもたらす影響のみならず、これらの要素が相互に影響し合っていることです。

■「情動」の3つの要素
■「情動」の3つの要素
情動は、「感情・思考」、「身体(自律神経やホルモン)」、「行動(動きや姿勢)」の主に3つに影響を与える。これらの要素は相互に影響し合っている
(出所:『エモーショナル・ブレイン』(ジョセフ・ルドゥー著)を基に産業医のグループが作成)