聞き手/田中 太郎(日経エコロジー編集長)

業界他社が嫌がる混合廃棄物のリサイクル率を95%まで向上。「品質」で支持を獲得。価格競争からの脱却を果たす。

石坂 典子(いしざか・のりこ)
1972年東京都生まれ。米国留学後、92年に父が創業した産業廃棄物処理会社、石坂産業(埼玉県入間郡三芳町)に入社、2002年に社長に就任した。廃棄物焼却から建設系混合廃棄物のリサイクルに転換して事業を拡大する。里山の再生など地域貢献にも力を入れる
写真/尾関 裕士

――資料を読んで一番驚いたのは業績の良さです。2014年度の売上高は約46億円で、この5年間で5割増えました。しかも、高い利益率を確保しています。

石坂典子氏(以下、敬称略) 1999年にダイオキシン報道によって廃棄物焼却が大きな問題になり、メーンビジネスの焼却から撤退せざるを得なくなりました。そのとき、何を次のメーンビジネスにすべきか原点に戻って考え、廃棄物処理業界で最も嫌がられている建築系の混合廃棄物に目を付けたのが、大きなポイントだったと思います。処理設備に大きく投資し、リサイクル率を飛躍的に上げるための技術開発をしてきました。その結果、他社との差別化ができたことが大きいのではないでしょうか。


地域に必要とされない会社では仕方ない

――ニッチ市場をつかんだわけですね。よく焼却から建設廃棄物のリサイクルに切り替えられましたね。

石坂 我が社だけの責任ではなく、業界全体の問題であり、あおるだけあおるマスコミ報道の影響もあったと思いますが、地域の人たちから「不要な会社」と言われるようになってしまいました。しかし、(創業者の)父には会社を存続させていきたいという強い希望がありました。そこで、以前から一部だけ受け入れていた混合廃棄物の取り扱いをさらに拡大するために、思い切ってプラントを新しくすると決断し、都市計画法の開発許可を取って、廃棄物処理法の許可を受けた経緯があります。狙いを定めて行動したというより、そうせざるを得ない状況に陥ったことが、今につながっていると思います。

――お父さんと石坂さんのどちらが決めたのですか。

石坂 当時、私はまだ30歳だったので、「お父さん、焼却やめちゃえば」と軽い感じで声をかけたんです。父はしばらく黙り込み、2~3分してから「地域に必要とされない会社であっても仕方ないな」と言ったんですね。その言葉は私の経営の大きな礎になっています。

 焼却をやめると決めた時に、父は私に「現場で選別してこい」と教えました。従業員と一緒に選別作業をする中で、医療廃棄物や食品残さなどと比べても建設系の混合廃棄物は一番大変だと思いました。「みんなが困っているものを積極的にやっていくのがいいだろう」と父が決めたので、「じゃあ、プラントを新しくするために一緒に勉強させてほしい」と声をかけたのです。それから全国のプラントメーカーに出向き、設備を選んでいきました。父がそれまでに経験した選別での失敗を聞きながら、「(土砂の)粒度をこの精度まで上げるなら、この機械にこう手を加えて装置を買いたい」といった感じで交渉する。二人三脚でした。

――通常、混合廃棄物のリサイクル率は高くても80%ぐらいです。それを95%まで高める秘訣は何ですか。

石坂 機械をどう組み合わせるかですが、そのポイントはメーカー任せにしないことです。メーカーには現場の本当のニーズまで見切れないケースがあります。だから一緒に現場に入って改造を繰り返し、手を加えていったんです。一度入れた装置を取っ払ったこともあります。1日のトラブルがゼロになるまで3~4年かかっているんですよ。私も、とても勉強になりました。

 減量化した後の最終廃棄物をリサイクルするための研究開発にも8年前から着手しています。専門家にも協力していただいたりして、ものすごくお金をかけています。4~5年かけ建設資材として製品化したものがあり、今は第三者認証を取る手続きを進めています。