国際標準からはずれる司法判断

――原子力については、2016年3月に大津地裁が、高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止めの仮処分申請を認める決定をしました。世論調査でも原子力に対する不支持が増え続けているようです。

豊田 世論調査は、聞き方によって回答が変わってくるのではないでしょうか。原子力発電が好きか、嫌いかだけを単純に聞けば、好きな人は多くはないと思います。ただ、経済成長に不可欠な場合にどう思うかを尋ねたら答えは変わってくるかもしれません。安倍政権は、原子力規制委員会によって安全性が認められれば原子力を進めてよいという立場を取っている政権ですが、これを支持している人が多いわけですから。

 大津地裁の判断については、規制委員会の独立性確保や安全基準の一層の厳格化など原子力に関するいろいろなものが国際標準になろうとしている時に、司法だけが国際標準からはずれていると感じました。

 司法の判断要素としては大きく2つがあると思います。1つは安全性そのもの、もう1つは審査の手続きの問題です。欧米では、安全性に関しては独立した規制機関の判断を尊重します。一方、手続きに関しては瑕疵(かし)があるかどうかをしっかり見ます。しかし、日本は独立した規制機関をつくって国際標準になったのですが、司法はまだそこに到達していません。

 欧米の原子力の専門家には「なぜ日本では原子力の専門家より、法律の専門家の方が技術について詳しいのだ」と不思議がられます。フランスの場合は、原子力のような技術的な行政判断については特別な裁判所があり、技術の専門家が入った形で判断されます。

 安全性には、技術と規制スキームと文化の3つの要素があると思います。技術的には日本はトップレベルでしょう。ただ、規制については、かつては推進機関の中に審査機関があり、国際標準からはずれていました。ここは福島の原発事故後に直しました。3つ目は、事業者による自主行動によって安全対策を規制以上に高めていくといった文化です。こうした取り組みでは米国が先行していますが、日本でも電力会社やプラントメーカーなどによって原子力安全推進協会(JANSI)が設立され、海外と技術交流しながら安全対策を評価する知見を蓄積しています。

 ただ、世論調査の話もありましたが、国民の意識として「ゼロリスクのエネルギーはない」という認識が共有されていないことが問題かもしれません。風力発電は台風によって倒れ人を傷つけることがあるし、鉱山で事故が起きる危険性があります。「許容できるレベルまでリスクを下げることが重要」というのが安全文化です。残念ながら、大津地裁の判断にも安全文化の成熟が見て取れないと思います。

写真/鈴木 愛子