聞き手/田中 太郎(日経エコロジー編集長)

定量的なデータの充実が評価されていた日本の情報開示の内容が薄くなっている。社会や環境の情報開示を投資家が求める時代に逆行すると警鐘を鳴らす。

國部 克彦(こくぶ・かつひこ)
1990年大阪市立大学大学院経営学研究科修了、博士号取得(経営学)。大阪市立大学、神戸大学助教授を経て、2001年より同大学教授、2014年より現職。近著に『低炭素型サプライチェーン経営 』(共著)がある
写真/山本 尚侍

――日経エコロジーの創刊号で環境報告書の読み方について寄稿していただいてから16年がたちました。あれから報告書は進化していますか。

國部 克彦氏(以下、敬称略) 普及したという意味では進化していると思います。ただ、日本での進化と、欧米、特に欧州での進化では、かなり意味が違っています。

――具体的にはどういうことでしょうか。

薄くなった報告書

國部 日本の場合は1990年代後半、法的な義務がない報告書を継続的に発行するという実務が全くなかったにもかかわらず「環境報告書を出すべきだ」という機運が高まりました。96年にISO14001が発行されたことが大きく影響していますが、自主的な情報開示という画期的な動きだったと思います。その後に環境省やGRI(グローバル・レポーティング・イニシアティブ)などがガイドラインを出し、それらに沿った環境報告書が出されるようになって、環境の情報開示が特に大手企業にとって普通のことになっていきました。しかし、発行する企業がどこまで有効なツールとして活用しているか、あるいはもっと大きいのは逆にステークホルダーがその情報を活用しているのかについては疑問が残ります。

■ 環境/CSR報告書を作成している企業の割合の推移
■ 売上高1000億円以上の企業の作成状況(2013年度)
環境報告書やサステナビリティ・リポートなどの情報開示を実施している企業は約4割に達している(上)。売上高1000億円以上の企業に限れば8割以上が実施しており(下)、情報開示はもはや当たり前になっている
出所:環境省「環境にやさしい企業行動調査」から。上場企業と従業員500人以上の非上場企業が対象で、2011年度までは全数調査、2012年度からは3000社を抽出した標本調査

 振り返ると、最初は簡単な内容でしたが、だんだん分厚くなっていきました。「適合性」や「信頼性」を重視して、データをどんどん盛り込みました。ところが最近では、読みやすさを重視して、だんだん薄くなっていっています。ビジュアル面を重視し、手に取りやすさを強調しすぎて、PR誌と区別がつきにくくなっているのではないでしょうか。

――最近はトピックを分かりやすくするために巻頭特集を組む企業も多いです。

國部 特集があるのは日本企業の特徴です。それ自体は悪いことではないのですが、そこで取り上げているテーマがその企業にとって本当に重要なトピックなのかが分かりません。トピックとして取り上げたのであれば、その企業がその年に力を入れた事柄であるはずです。なのに、後半の情報開示の内容はそれに釣り合っていない。あるいは、毎年全く違うトピックを取り扱う企業を見ると、本当に重要なテーマだったのか疑問が湧きます。

――内容面での進化はいまひとつだと。

國部 多くの企業は詳細な報告書を作成しても読まれないから、要約して分かりやすくし、トピックを入れます。しかし、それでも読まれない。それは、読み手にとって内容が難しいからではなく、内容に関心がないからです。内容をやさしくすると、もっと薄っぺらになってしまうので、以前に読んでいた人にも読まれなくなってしまうという悪循環になっています。

 欧州ではかつて、日本の環境報告書がとても高く評価されていました。それは定量情報が豊富だったからです。欧州の報告書は、文字はたくさんあるけれど、データが少なかったのです。しかし、日本企業も継続的に情報開示しているうちに、そんなに多くのデータを盛り込んでも報告書の読者に訴えないことが分かってきてしまったのですね。

――一時はダイジェスト版を紙で印刷し、データ編はウェブサイトにアップする企業も目立ちました。

國部 それは今もやっています。ただ、それが効果的かどうかは不明です。特にダイジェスト版が貧弱すぎるように見えます。

 今の環境経営の大きな流れは、事業とどう連携させるかです。2015年9月のISO14001の改訂も、事業活動とは独立して構築可能だった環境マネジメントシステムを事業戦略と一体化させて進めるべきだというコンセプトが強く打ち出されています。報告面でも、統合報告に代表されるように、環境を含めたサステナビリティレポートとファイナンシャルレポートの統合が強調されています。2010年代に入ってから欧州を中心に、環境と事業戦略を連携させる方向に大きくかじが切られています。そういう意図でダイジェスト版が作られているのならよいのですが、実質が伴っていないように見えるのです。