本ケースにおけるコンプライアンス上の問題とは?

 今後、業界再編などで、いろいろな企業で上記のようなM&Aに関係する会話が発生する可能性がある。その際に、関連当事者になった佐藤さんのような人を守る体制や、そこから情報を獲得しようとする鈴木さんのような人の発生を防ぐ仕組みが会社に構築されているかどうかが重要になる。

 現段階では、鈴木さんが株取引をしているわけでもないし、誰かに株の購入を勧めているわけでもない。したがって、金融商品取引法に定めるインサイダー取引は存在していない。しかしながら、売り手候補(自社)と買い手候補が互いに覚書等を交わしたうえでデューデリジェンスが行われている段階にあると考えられることから、もし今後この情報をもとに株取引が行われれば、重要事実に基づいたインサイダー取引として認定される可能性がある。いずれにせよ、かなり危険な状況にあり、会社がやるべきことは、このような一歩間違うと関係当事者の社員(佐藤さん)から情報を得た者(鈴木さん)が違法に株取引をするといった可能性を減らさなくてはならないということである。

 まず、皆さんもご存じとは思うが、インサイダー取引について確認しておこう(よく知っている人は飛ばしてほしい)。インサイダー取引は、金融商品取引法によって定められている違法行為であり、上場会社等の会社関係者(会社関係者等)あるいは当該会社関係者から情報を得た者(情報受領者)が、投資者の投資判断に著しい影響を及ぼす重要事実を知って、その事実の公表前に当該会社の株式等の有価証券の売買等の取引をすることをいう。

 なぜ、このような法規制があるかというと、証券市場の公平性を保つためである。特定の人だけが知りうる情報をもとに株取引をすると公平性がなくなってしまう。そこで金融商品取引法は、インサイダー取引に該当する場合の適用該当者と取引の形態を以下のように定めている。

(1)会社関係者(会社関係者でなくなって1年以内の者を含む)であること
(2)上場企業等の業務等に関する重要事実を職務等に関し知っていること
(3)当該重要事実が公表される前であること
(4)当該企業の株式などに関する取引を行っていること

 なお、ここでいう重要事実とは、具体的には合併、会社分割、事業譲渡、業務提携など会社が決定した「決定事実」、災害に起因する損害又は業務遂行の過程で生じた損害、主要株主の異動、債権の取立不能又は取立遅延のおそれ、などその会社の意思によらずに発生した「発生事実」、業績予想、配当予想の修正等などの「決算情報」などであり、金融商品取引法で細かく定められている。

 そして、インサイダー取引としての違法性が認められると刑事事件として立件される。有罪の場合「5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰則(又は懲役と罰則の両方)」、法人の場合には5億円以下の罰金刑が科される。そしてインサイダー取引で得た財産は没収もしくは追徴される。

 最近では、大手流通企業がディスカウント大手にTOBを実施した際、これを事前に知ったディスカウント大手の前社長が、電話で知人に対して同社株の購入を勧めたとして金融商品取引法違反(取引推奨)で懲役2年執行猶予4年の有罪判決を受けたケースがある。このとき、被告自身は経済的な利益を得ていない。判決によると「(TOBなどへの)具体的な言及は避けながらも、相応の根拠があることを暗に示した。買い付けの期限も示唆しており、悪質だ」とのことである。たとえ当人が利益を得ていなくとも、重要事実を漏らして取引を勧めることで有罪になるのである。

 アフターコロナの時代に起こりうる業界再編では、どんな会社も企業買収の対象になりうるし、逆に買い手になる可能性もある。したがって、それに備えて、まだ何も起こっていない現在から、経営幹部や社員がこのような際に違法行為をしないように準備をしておかなければならない。