経営者は「何でも仕組みにしたがる病」

海老原:中野さんに聞きたいのは、今の逆の話なんです。欧米型をマネして、「JDを定義してジョブ型にすると残業も減るし給料も払わなくて済む」と考えてる日本企業が多くないかってところからまず聞きたいのですが。

中野:「人件費の下方硬直性を正したい=ジョブ型で都合よく特定の層の報酬を下げたい」、反対に「特定の層に従来の等級基準だと支払いが難しい高額報酬を払いたい」、または「従業員の専門性を高めたい」「キャリア自律を促したい」といった理由で導入を考える会社が多いように感じます。一方でそれすら考えず「ジョブ型を入れたら、JDがあるから仕事が定義されて、成果で測れて、不要な仕事が減って、残業が減る」という謎のすり替え議論が起こっているのも目にします。

中野 宗彦(なかの もとひこ)氏 ノイエ・ジール代表取締役社長 リクルートで総合企画部マネジャー、神戸支社長を歴任し、大手から中堅、ベンチャーまで日系・外資系企業を幅広く担当。その後、リクルートエグゼクティブエージェントで経営層のエグゼクティブサーチを経て、日系上場メーカーの人事制度企画に従事。現在は人事制度・採用コンサルティング会社を起業(現職)
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中野 宗彦(なかの もとひこ)氏 ノイエ・ジール代表取締役社長 リクルートで総合企画部マネジャー、神戸支社長を歴任し、大手から中堅、ベンチャーまで日系・外資系企業を幅広く担当。その後、リクルートエグゼクティブエージェントで経営層のエグゼクティブサーチを経て、日系上場メーカーの人事制度企画に従事。現在は人事制度・採用コンサルティング会社を起業(現職)

海老原:流行(はや)りで入れている?

中野:何が目的か、ジョブ型のメリット・デメリットが不明なまま議論している事実が恐ろしいですよね。海老原さんの本で引用された中島さんの名言に「生まれてからDNAに刷り込まれてくるかごとく、人に仕事がつくということが前提になっている」というのがありました。もし、ジョブ型が入っても、結局「ジョブが変わったとき、その人の給与が下がるとかわいそうだよね」と言って「じゃあこのジョブの給与を上げよう」という話が平気で出てしまう。そして、そのこと自体を一切疑問に感じない。

海老原:さらにジョブ等級が人に付いてて、「あなたはジョブ等級3級だから、それに見合う仕事をしてください」って言っちゃう。その人はいつもそのジョブ等級を持って動いてて、違うところに行っても「はい、それなりの仕事やりなさい」って言われるわけです。

中野:「職務内容を明確に定義して、誰が何をするべきか」を決めているわけではなく、結局、従来の目標管理的に「その人に何の仕事をさせるか」を決めている感じかと思います。本当にジョブ型であれば、「このジョブはこういう仕事です。だからこういうスキルが必要です」ということが定義されていて、そのスキルを持っている人がアサインされますが、日本だと、例えば人事の実務経験が全く無い営業部長を平気で人事部長に異動させたりする。その営業部長が人事部長になったとき上司から、「あなたは人事のことを全然知らないけど、営業の経験を生かして人事で頑張って」みたいなことを言われる。それが良い場合もありますが、では元の人事部長のJDに「ビジネスの経験があり、それを活用」とか「人事の知識、経験は不問」とは別に書いていない。

 これは私見ですが、流行っている人事制度に飛び付くのは「何でも仕組みにしたがる病」みたいなのがあるんじゃないでしょうか。経営者やマネジメントが楽をしたい。または悪者になりたくないので「1回デジタルな定義を作ってみよう」「デジタルに評価定義を作ろう」それで「デジタルに決まったんだからそれでいいよね」という一見合理的で自分たちが楽な仕組みを作りたがる。でも、「人に仕事をつける」という前提が変わらないまま、ジョブの定義を変え、気がつけば評価定義も形骸化してしまうのです。

海老原:簡単にその通りにできちゃうような仕組みにしちゃおうってことなわけですね。

中野:考えたくない、判断したくない。低い評価を付けて、嫌なこと言いたくないという気持ちが根底にあると感じる場面は多いですね。