脳科学が産業界の注目ワードになって久しい。脳科学を冠した書籍は枚挙に暇がないが、昨秋から一冊の本が話題になっている。『科学的に幸せになれる脳磨き 人生の豊かさを決める島皮質の鍛え方』(サンマーク出版)である。ページをめくると、「利他的な人の年収の増加率は、利己的な人の1.5倍」「一般的にはやる気があるからできるようになる、と考えられているが、脳科学的には、できるようになるからやる気になる」「人の気持ちに寄り添える人は未来予測の脳回路が鍛えられている」など、興味深いフレーズが飛び込んでくる。

 著者は、米ノースウエスタン大学などで医学・脳科学研究に従事してきた、医学博士の岩崎一郎氏。岩崎氏は「脳磨き」という体系を提唱し、その普及活動に取り組んでいる。

 「脳磨き」の最大のポイントは、誰もが歯磨きのように自然にできる脳の使い方だということだ。岩崎氏は、研究の過程で「幸せ」の概念に着目した。科学的に証明された「幸せにつながる行動」を研究者の目線で抽出し、日々の生活の中で実践。自らの心身の変化を実感し、人が豊かにかつ幸せに生きるための脳の使い方を体系立てたという。岩崎氏は「方法は至ってシンプルで、誰でも簡単に取り組める」とする。なお、岩崎氏は前述の書籍を書くために、最新の研究結果も含めて250以上の論文を新たに読み込んだという。

 豊かさと幸せの鍵を握るのは大脳の奥深くにある「島皮質」という脳の部位だ。島皮質は、脳の中でハブ(中継地点)のような役割を果たしている。この機能を高めれば脳全体が活性化し、脳が本来持っている力が引き出されてくる。

 岩崎氏は「島皮質を鍛えるような脳の使い方、ひいては脳全体をバランスよく協調的に働かせるような使い方をすることが、人生を幸せに豊かにするポイントだ」とする。脳科学の分野では人間の幸福をテーマに据えた研究が1970年代から進められているが、島皮質に着目されるようになったのは比較的近年のことだという。

 では、具体的にはどうするか。岩崎氏が提唱するポイントは、実にシンプルだ。以下、書籍より引用する。

 「感謝の気持ちを持つ」「前向きになる」「気の合う仲間や家族と過ごす」「利他の心を持つ」「マインドフルネスを実施する」「Awe(オウ)体験をする」。

 一見、巷の自己啓発本や有名経営者の本にも書かれている内容である。「試しに取り組んでみたことがあるが、変われた気がしない」と反感を持つ人もいるかもしれない。

 岩崎氏は従来型の脳の使い方を変えるには、段階を追ったトレーニングが必要だと指摘する。なぜなら「普段の生活の中で、従来型の脳のパターンを無意識のうちにたどりがち」(岩崎氏)だからだ。「スポーツでトレーニングして実力を上げていくように、順を追って取り組み、従来型の脳の使い方を変えていくのがよい」と助言する。

 本コラムでは各所への取材を通じて、産業界におけるウェルビーイング(より良く在る)の適用方法について探っている。人を人らしくさせている根本的な機能が脳にあると考えれば、脳科学の観点から、働く人のウェルビーイングをどう実現するかを考えるのは理にかなっているのではないか。

 近年、脳科学や心理学の知見を産業活動の現場で活用しようという向きは強い。例えばソフトウエアのUXデザインでは認知心理学が、サービスの企画・設計や販促活動においては行動経済学などが適用されつつある。岩崎氏のアプローチは脳科学の知見を人材育成やチームビルディングに本格的に展開しているケースとしても興味深い。

 幼少期の家庭内暴力で幸せを感じられない自分に悩み、幸せな生き方を求めて調査と検証を積み重ねてきたという岩崎氏。自分自身をいわばマーケティングで言う「n1(個として注目する最重要顧客)」に据え、探求して見出した「脳磨き」とはいかなるものか。その知見を実装した人材育成のポイントを探る。

岩崎 一郎(いわさきいちろう)氏<br> 脳科学者 医学博士<br> 京都大学卒業後、米国ウィスコンシン大学大学院で博士号取得。通産省主任研究官、ノースウェスタン大学医学部 准教授を歴任。脳細胞の神経伝達の研究に従事する一方で「稲盛哲学」の実践が人生を好転させることを経験し、脳科学的裏付けを行う。プライベートでは、無口・口下手に悩み、それを克服するため渡米中に街頭で3000人に声をかける実験を行い、脳科学研究を取り入れた独自のコミュニケーション理論を確立。「集合知性」が社員の能力を最大限に引き出すという信念の下、帰国後、心のかよい合うコミュニケーションを支援する会社、国際コミュニケーション・トレーニングを設立。著書に『科学的に幸せになれる脳磨き』(サンマーク出版)他多数。(写真提供:国際コミュニケーション・トレーニング)
岩崎 一郎(いわさきいちろう)氏
脳科学者 医学博士
京都大学卒業後、米国ウィスコンシン大学大学院で博士号取得。通産省主任研究官、ノースウェスタン大学医学部 准教授を歴任。脳細胞の神経伝達の研究に従事する一方で「稲盛哲学」の実践が人生を好転させることを経験し、脳科学的裏付けを行う。プライベートでは、無口・口下手に悩み、それを克服するため渡米中に街頭で3000人に声をかける実験を行い、脳科学研究を取り入れた独自のコミュニケーション理論を確立。「集合知性」が社員の能力を最大限に引き出すという信念の下、帰国後、心のかよい合うコミュニケーションを支援する会社、国際コミュニケーション・トレーニングを設立。著書に『科学的に幸せになれる脳磨き』(サンマーク出版)他多数。(写真提供:国際コミュニケーション・トレーニング)

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