人的資本経営の核心は、従業員エンゲージメントの向上にあるといっても過言ではない。多くの日本企業が考えてきた「従業員の幸せ」とは、本当に正しかったのか。投資家の目が人的資本に注がれる中で、日本企業の価値観が問われている。ESG経営、企業価値向上、人材戦略などに詳しい一橋大学大学院CFO教育研究センター長の伊藤邦雄氏に話を聞いた。

――今日、なぜこのように従業員エンゲージメントが議論されるようになったのでしょうか。

伊藤邦雄氏(以下、伊藤):1990年代に入り、企業価値の主要な決定因子が有形資産から無形資産へ移行しました。これが、そもそもの発端です。無形資産には企業ブランドや知的財産権などがありますが、様々な議論を経て、いよいよ本丸である人的資産に論点が移ってきたのです。したがって企業が自らの価値を向上するには、人材の価値と従業員エンゲージメントを高める必要があります。

 さらにコロナ禍がそれを加速させました。リモートワークが基本になれば、従業員はこれまで以上に孤独感を感じやすくなり、エンゲージメントの重要性が高まります。企業トップやマネジャーが心に響くメッセージを出せなければ、従業員は「会社とつながっている」という感覚を失いやすくなっているのです。いま経営陣には、メッセージを正しく言語化し従業員にしっかりと伝えられる能力が問われています。

伊藤邦雄(いとうくにお)氏
一橋大学大学院CFO教育研究センター長、一橋大学大学院経営管理研究科特任教授
一橋大学商学部卒業後、同大学助教授、米スタンフォード大学フルブライト研究員を経て一橋大学教授。商学博士。2002年より一橋大学大学院商学研究科長・商学部長、2004年より一橋大学副学長を務める。主な著訳書に『グループ連結経営』『危機を超える経営』『新・現代会計入門(第4版)』『新・企業価値評価』(いずれも日本経済新聞出版社)、『医薬品メーカー 勝ち残りの競争戦略』(編著、日本経済新聞出版社)、『会計制度のダイナミズム』(岩波書店)、『無形資産の会計』『企業会計制度の再構築』(いずれも編著、中央経済社)など。2014年8月に経済産業省から「伊藤レポート」を発表し、日本のガバナンス改革を牽引してきた。2020年9月には同じく経済産業省「人材版伊藤レポート」の作成に座長として参画した。

――コーポレート・ガバナンスと人的資本は、どういう関係にあるのでしょうか。

伊藤:日本企業は人的資本という言葉は使いませんが、昔から「人が大事だ」と言い続けてきました。しかし、本当にその意味を深く問うているでしょうか。人を「大事にする」とは、各従業員が自律的に自らの潜在価値を引き出し、高める環境を企業側が提供することです。それが従業員エンゲージメントに反映されます。そうした人的資本価値の総和が企業価値につながってくるのです。その文脈で、コーポレート・ガバナンスと人的資本の関係が重視されているのです。

 ストラテジー、タレント(人材)、リスク。この3つのテーマについて、取締役会でどのくらい時間をかけて議論しているかが、企業の業績と密接に関係していることが知られています。例えばソニーは従業員エンゲージメントを具体的なKPI(重要業績評価指標)にして、役員報酬に反映させています。投資家としては、企業から「人材を大切にする」というお題目をいくら聞いても意味はなく、KPIとして何を測定しどんなPDCA(計画・実行・検証・改善)サイクルを回しているかを具体的に知りたいわけです。同時に、なぜそのKPIを選んだのかという理由を知りたがります。KPIは各社違いますし正解はありませんが、どう設定するかという点に、経営者の思いや価値観、業界の特性が反映されるからです。

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