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 皆さんの会社では「人事のグローバル化」をどのように進めていますか?

 この連載では、さまざまな企業で海外M&A(合併・買収)や戦略人事を推進してきた私の経験をもとに、グローバル人事の極意を紹介していきたいと思います。

 1985年、製薬会社でのMR(医薬情報担当者)が私のキャリアのスタートでした。営業と人事はかけ離れた仕事と思うかもしれませんが、実は営業経験が人事に生きています。営業現場で、人と組織がどんな状態なら活力が出て成果が最大化されるかを学びました。1992年から労働組合も兼務し、人事制度を勉強しました。支部長として営業所を回って職場会に出席し、職場の風土と成果に対する営業所長の影響力の大きさを肌で感じたのもこの時期です。このころから人と組織の活性化やリーダーシップに関心を持つようになり、営業現場にいながら頭の中では人事的なテーマを考えていたのです。

 2000年に人事部に異動。人事は初めてでしたが、労組で採用、評価・報酬制度、福利厚生、年金制度、退職金制度は経験済みで、熟知しています。営業経験はあったので事業経験の幅を広げるため、製薬企業の柱の一つである研究開発人事マネジャーを任命されました。1000人の研究本部と300人の開発本部を次長と課長(私)の2人で担当し、両本部の戦略課題に人事アドバイスを行いました。今で言えばHRBP(HRビジネスパートナー)です。当時はそんな言葉もなく、「部門人事」といっていましたが。

 2001~2004年までシカゴに駐在し、米国の評価制度、報酬制度、人材育成、移民法、解雇を学びました。痛感したのは、人事制度とビジネスプロセスにはその国の文化、慣習、価値観が反映されていること、そして海外子会社は本社にはなかなか本心を明かさないということです。後者については、よほど信頼関係ができていないとネガティブな本音も聞けないので、本社は海外子会社の担当者の話をしっかり傾聴しないと、正しいマネジメントはできません。

 2004年に帰任し、当時の藤沢薬品と山之内製薬の統合を推進し、2005年にアステラス製薬が設立。在籍する事業部を外資系企業に譲渡することになりました。譲渡先企業の人事の仕組みは日本企業のそれとは大きく異なり、組織は揺れに揺れました。極限状態でリーダーや人事担当者はどう行動すべきか、考えさせられた瞬間です。転籍者、転職希望者をできる限りサポートをしたのち、私も初めて転職活動を開始したのです。

 2005年バイエルメディカルに人事総務部長として転職し、グローバル企業の仕組みを経験しました。米国人社長は厳しい人でしたが、「ミキ、君がグローバルで通用するビジネスパーソンになりたいなら、私は君にそのように接する」と、容赦なく鍛えてくれました。その後バイエルの診断薬事業はシーメンスに事業譲渡され、私は統合の人事のグローバルチームに日本のリーダーとして加わりました。