新著『人事の企み』の出版記念特別対談、第2弾は神戸大学の江夏幾多郎氏がゲスト。「日本型雇用」の合理性を世界に示した小池和男氏の理論とその毀誉褒貶を改めて分析する(写真:三宅弘晃、編集協力:荻野進介)。

中野宗彦氏(以下、中野):本日のゲスト、江夏幾多郎さんをご紹介させていただきます。江夏さんは一橋大学商学部を卒業し、名古屋大学大学院を経て2019年から神戸大学で教鞭を取られています。専攻は人的資源管理論、雇用システム論で、日本労務学会の会長でもあります。海老原さん、江夏さんをお招きした趣旨をまずはご説明ください。

正しさと不正確さ、公正さと不公正さ

海老原嗣生氏(以下、海老原):もう8年前になるのかな、江夏さんの最初の著書『人事評価の「曖昧」と「納得」』(NHK出版新書)を読んだとき、へえ、35歳でこんな本を書ける人がいるんだ、なかなかおもしろい人が出てきたぞ、というのが第一印象でした。

 全体としてはロールズという社会哲学者らが提示した概念を軸に、日本企業の癖を解いていくという構成なんです。「正しいよりも、不正確ではないこと」、「公正ではなく、不公正ではないこと」。この2つの軸を通底させながら、日本型の曖昧な人事考課をある面、認め、警鐘やアイロニーをも散りばめて綴っていく。その筆致にまず唸(うな)ったんだけど、さらにうまいのは、微に入り細をうがつように日本型を批判する遠藤公嗣さん、遠藤さんと同じくミクロの積み重ねながら、結論は逆で日本型をよしとする石田光男さん、全体をうまく俯瞰して鋭いテーゼを語る中村圭介さん、こんな、立場の違う先人たちの意見をうまくパッチワークしながら、全体を通して20世紀の巨人、テイラーに立ち向かう構成になっているんです。

アンチ・テイラーイズム、博愛的人事管理の復権

中野:テイラーがどういう方かご説明いただいてもよろしいでしょうか。

海老原:20世紀初めに科学的人事管理を打ち出したアメリカ人です。これによって、アメリカはT型フォードに代表される商品の大量生産に成功し、経済覇権を確立した。言ってみれば、決められた仕事を決められた時間でこなすようにすればいい、というスタティックな人事管理なんです。これが行き過ぎると人間疎外につながってしまうので、1930年代になると風向きが悪くなり、博愛的な研究者から批判を浴びました。その象徴が、組織心理学では有名なホーソン実験で、メンバーのやる気、チームワーク、働く自由度、業務差配などが業績を大きく左右することを証明しました。

 日本の経営学や人事管理論では、戦後、奇跡的にこの博愛一派が隆盛を極め、成功の礎をつくったから、日本はアンチ・テイラーイズムの国と目された。デミングやドラッカー、ハーズバーグがその教祖たちです。それが高度成長にも寄与したと言われているんだけど、バブル崩壊からこの方、失われた数十年を経て、日本型ガンバリズムはどんどん旗色が悪くなった。その流れに対し、江夏さんは自己流の解説を試みて、アンチ・テイラーイズムの論陣を張ったと私は受け止めたんです。

 中身はすごく面白かったんだけど、唯一、重要な最後のパーツが欠けていたんじゃないかと。それは何かというと、私だと(笑)。私がそのパーツになり得るのではないかと思い、お会いするのを楽しみにしていました。

中野:のっけから、熱いラブコールですね! 江夏さん、いまのお話を受けていかがでしょうか。

MBO(目標管理制度)が職場に根づくメカニズム

江夏幾多郎氏(以下、江夏):圧がすごいですね(笑)。全然売れていないマイナーな著書に対し、過分な評価をいただき、大変ありがたいです。

 その本は私が博士課程にいたとき、ある企業の人事部に10カ月間、インターンさせてもらった経験をもとに書いたもので、テーマは成果主義の運用です。人事が理想とした青写真とは違うけれども、MBO(目標管理制度)が職場に根づいているメカニズムを解き明かしたものです。それを説明するキーワードが、おっしゃられた「正確性よりも、不正確ではないこと」「公正ではなく、不公正ではないこと」という2つなんです。

江夏幾多郎氏
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江夏幾多郎氏
神戸大学経済経営研究所准教授。1979年生まれ。一橋大学商学部卒業。同大学にて博士(商学)取得。名古屋大学大学院経済学研究科を経て2019年より現職。専攻は人的資源管理論、雇用システム論

海老原:当時、20代半ばでしょう。なぜそんな洞察が可能だったのでしょう。

江夏:ある仮説をもってフィールドに乗り込み、それが裏切られたからだと思います。新しい制度が入ることで職場のロジックやルールが変わると思っていたのですが、実際にはそうでなく、職場のロジックやルールが逆に制度のあり方を変質させていました。MBOをいろいろな理由でちゃんと運用できなくても、頑張っている部下には「よく頑張るね」と上司が伝え、非公式な処遇を行ったり、数年後の人事で報いたりするケースがありました。全ての職場でではないですが。

海老原:仮説をもって入り込んでも、その仮説が証明されると、「よかった」で終えてしまう研究者も多いなか、江夏さんは現場で新たな仮説を次々に紡いでいます。

江夏:私の第一の指導教官は戦略人事で有名な守島基博先生でしたが、もう一人、佐藤郁哉先生の指導も受けていました。シカゴ大学で学び、京都の暴走族の研究で有名になった社会学者です。その彼から現場に入り込み、観察し、そこから理論をつくるということの意義を度々伝えらた。その影響があるのだと思います。