神戸大学の江夏准教授との対談後編。近年は人事分野でも、仮説検証型で計量的な研究が増えている。実務家には「現実と遊離した突拍子もない研究」ととらえられることもあるが、研究者と実務家がお互い歩み寄り、対話するためのよいきっかけとなる。(写真:三宅弘晃、編集協力:荻野進介、会場は大阪市備後町の中央会計のセミナールーム)

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中野宗彦氏(以下、中野):そういえば、海老原さんは以前、江夏さんは中村圭介(法政大学公共政策研究科教授)さんに似ていると言っていましたよね。

海老原嗣生氏(以下、海老原):そうなんです。たとえ話でいうと、干物(ひもの)にお湯をかけても生物(なまもの)に戻らない。研究も同じで、精緻に知見を重ねても、干物のような研究は多い。それでも、単純な計量論者よりははるかにいいけれど、野村さんや遠藤さんの話はやっぱり干物だと思います。対して、小池さんは、データや事例やアンケートの裏にある「生物」を探し出そうと精緻に資料分析をして論法を重ねていく。中村さんは生物論者なんだけど、聖人が凡人の喉仏をひょっとつかむような、いきなり事の真髄を抜き出すようなところがある。

 江夏さんにも似たものを感じるんです。たとえばね、遠藤さんは1980年代の大手企業の調査で、ほとんどの企業が査定結果を本人にフィードバックしていないというエビデンスを出した。これ自体はすごい資料ですよ。私も多々企業見てきましたが、1990年代でもそうだった。間違いない。それを一目瞭然のデータにしてくれたんだから偉い。でも、彼の干物論法はそこで終わりなんです。

 一方、江夏さんは、「フィードバックしなくてもすむというけど、その理由は何か」と、思考の歩を進めるわけです。そして、上下の関係性や日々の対応、社内環境を探ったうえで、社員は査定に「納得」し「不公正ではない」と思っているのだ、と結論づける。まさに喉仏をつかむような話です。だから、中村さんに似ていると思ったのです。研究者というより、映画監督のようなクリエイティブを感じました。

研究者には3つのタイプがある

江夏幾多郎氏(以下、江夏):そのご指摘はとても光栄です。きちんとやりとりをしたことはないのですが、私は中村先生に私淑しているんです。

 私が思うに、社会科学の研究者には、極論すると3つのタイプがいるのではないかと。1つは私情を極力挟まず、見てきたこと、データで上ってきたことを論文に反映させるタイプ。2つは決して捏造ではないんだけれども、自分なりの規範で、見てきたことやデータを料理していくタイプ。3つは発見やデータの解釈も、自分の規範を決めうちしすぎず、発見やデータと擦り合わせていくうちに何かのひらめきを得て、ものを書くタイプ。直接語り合ったことがないので無責任発言なのですが、中村先生は3のタイプに近いのかもしれません。

江夏幾多郎氏
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江夏幾多郎氏
神戸大学経済経営研究所准教授。1979年生まれ。一橋大学商学部卒業。同大学にて博士(商学)取得。名古屋大学大学院経済学研究科を経て2019年より現職。専攻は人的資源管理論、雇用システム論

中野:人事の実務者は経験と勘を頼りにしがちですが、そこに負い目があるのか「こんなデータが出ています」という1のタイプの研究者に惑わされることが多いように思います。

江夏:昨今、1のタイプの研究者が非常に多くなっているのは確かです。たとえ社会科学の研究であっても、国際ジャーナルに載りやすい仮説検証型で計量的な研究を目指すことが、大学のポストや研究費の獲得につながりやすくなっています。経済学では特に顕著ですが、研究者自身、自然科学と同じように一般性に根ざした法則的知見を導き出すのがいい、そうでなければ研究とはいえないという姿勢の人が増えたのも大きい。

 結果、出てきた結論が、実務家からすると、現実と遊離した突拍子もないことであることもよくあるでしょう。でも、少々タイプ1を擁護させてもらうと、それに対して、「けしからん。こんな研究は不要だ」と言うのは、もったいない。最終的に、「実務には使えないから使わない」になってもいいのですが、「ほう、こんなことが言えるんだ」「なぜこんな結果になっているのだろう」「ここだけは面白いから、実務に応用してみるか」という姿勢で臨んだほうがいいのではないかと。

 要は受け止め方を多様に、ということです。実務家の方々は,ある研究成果についての率直な驚きや疑問を著者を含む研究者にぶつけてみてはどうでしょうか。人事や雇用の現実に向き合う研究者にとっては,そうしたフィードバックが一番ありがたい。もちろん、フィードバックしてもらいやすくするような説明責任が研究者側には大いにありますが。