「人的資源管理戦略」などの高尚な理想を追うだけでは組織は動かない。かといって労務や採用など目先の戦術に明け暮れていては成長がない。戦術と戦略をつなぎ、戦略を実行可能なものにするのが「作戦」である──。「人事の組み立て」に続き、雇用・人事を知り尽くした海老原氏が、今度は「作戦論」を展開する。

(写真:123RF)

 人事の話をする前に、戦いに勝つための一般則について、書いておきます。

 ビジネス経験が数年もあれば、たぶん、戦略と戦術の違いについて、上司や顧客からうんちくを語られた経験のある人が多いことでしょう。

 戦術とは、目の前の個々の戦闘をどう戦うか、ということ。対して戦略とは、一戦一戦の戦闘をつないで戦争全体をどう有利に展開するかという、よりスケールの大きなプランニングを指します。

 こんな分かりきったことを、すみません。私が言いたいのはその先です。

 多くの研究者や識者たちは、なにか「戦略家」を上に、「戦術家」を下に見ています。そして、戦闘にたけた勇者たち、つまり名戦術家を、ともすると「木を見て森を見ない」と腐(くさ)す。私はそのことに異を唱えたいのです。

 理論にたけ、大局観を持つ優秀な戦略家が、現実の戦闘とは齟齬(そご)だらけの「名戦略」を謳(うた)い、末端の兵隊たちが苦労するという話は、どこの世界でも掃いて捨てるほど見かけます。戦争はもちろん、ビジネスや政治などでもこのタイプの「頭でっかち」たちの実名を、いくらでも挙げられることでしょう。

 木を見て森を見ないのも、森を見て木を見ないのも、どちらも戦いでは致命的なのです。

野中郁次郎師の言葉から学んだ「戦略・戦術・作戦」

 では、勝つためにはどのように戦いの指揮をとるべきなのか。私は盟友のジャーナリスト、荻野進介氏から、こんな話を聞いたことがあります。

 彼は、私が人事・経営誌の「Works」編集長をしていた頃から、日本随一の知の巨人と衆人が目す野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)のコーナーをもう20年も担当しています。両氏が共著で『史上最大の決断』(ダイヤモンド社)をしたためていたころ、私は荻野氏にこんな話をしたことがあります。

 「世の中には、頭でっかちな戦略論を語る人が多いよね。『そんな絵空事は、MBAでしっかり鍛えりゃ、大体みんな描ける』みたいな揶揄(やゆ)を、野中師から何度か聞いた気がするけど」

 「そう。今回の本の中にも、その辺りを詳しく書いた部分があります。元々、戦略とはストラテゴスというギリシャ語に端を発していて、それは3段階からなっているんですね。最上位に大戦略(grand strategy)、その下に戦い全体像のデザイン(miritary strategy)、そしてその下に、末端戦術の構成を考える作戦(operational strategy)と続くんです」(詳細は『史上最大の決断』をご参照のほど)。

 私はこの話を聞いたときに、いたく感動したのを覚えています。そして頭の中で、野中師の大戦略は、戦争以外の面、たとえば外交や生産計画なども含めた本当に大きな話を扱う。その下に、「この戦争をどう戦うか」という起承転結論、俗に戦略と称されるものがある。多くの「頭でっかちな理論家」は、起承転結論だけにこだわっているんだろう。だから末端の戦術と齟齬が生まれてくる。

 その中間にあるのが「作戦」であり、これは、起・承・転・結それぞれの段落内をどう戦い抜くかというものであり、末端と上位とのハブにもなる存在──。言葉が勝手に絵になり、スーッと腹落ちしていきました。こんな感じです。

 戦略とは太い棒みたいなもの。戦術とは細っこい糸みたいなもの。作戦とはその糸を束ねて撚(よ)り、太い綱にして、その綱が曲折を経ながら太い棒の方向を決めていく。そう、戦術の束が作戦であり、その作戦により戦略は実現可能なものへと昇華する。さしずめ、鵜(う)匠がたくさんの鵜の首につけた細いひもを束ねて手元で操っているような絵面ですね。

 今回の連載で書きたいものはお分かりいただけたでしょうか。

 SHRM(strategy human resource management)だとかHCM(Human Capital Management)経営だとか、口角泡を飛ばして高尚な戦略論を語る頭でっかちな人事。かたや、労務や採用の最前線で日々、指令を実行するためあくせくしている現場。この両者をうまく結んで、さけるチーズのような「作戦」にすることが、連載の目的です。