「安い日本」は物価だけではない。賃金の国際比較でも日本の給与が安すぎることが問題視され、人材確保面でも国際競争力を失うことが懸念されている。しかしそうした論のなかには、誤った認識に基づいているものもある。短期集中連載で「安い日本のヒト」の実体とその真の原因を突き止める。

(写真:123RF)
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 「安い日本」が騒がれて久しい。従来、日本は物価が安く、そのため観光客が激増し、爆買い需要などが発生するので、それはそこそこ良いことだと受け止められていた。

 ところが、昨今では賃金比較で、あまりにも日本の給与が安すぎることが問題視され、人材確保面で「安い日本」は国際競争力を失うよくない現象と言われるようになった。総じていえば、こうした論調は間違いではないだろう。

 ただし、少なくない点において、言い過ぎ、曲解、そして「誤り」が散見される。その結果、多くの人が必要以上に狼狽(ろうばい)し、そして誤った犯人捜しが始まりつつある。

 「安い日本」の実体はどの程度の問題があり、そして、その真の原因は何なのかを、短期集中で突き止めていきたい。

サンフランシスコの“4人”世帯平均と日本の世帯平均を比べる愚

 「安い日本」の火付け役ともいえる『安いニッポン 「価格」が示す停滞』(日経プレミアシリーズ)では、衝撃的なエピソードが躍る。以下、同書から該当部分を抜き出してみよう。

「米住宅都市開発省の調査では、サンフランシスコでは年収1400万円の4人家族を『低所得者』に分類した。厚生労働省によると、日本の2017年の世帯年収の平均は約550万円、1000万円を超える世帯は10%強に過ぎない」

 この話はワイドショー(たとえば2019年12月12日のテレビ朝日「モーニングショー」)で盛んに取り上げられた。しかしこの表記には、大きなミスリードが見受けられる。

 まず、サンフランシスコの世帯年収1400万円は4人家族であり、一方、日本のそれは全世帯のものだ。ちなみに、平均年収は一部の高所得世帯が数字を上げるため、実勢よりも高い金額が示されがちなので、世帯収入などは「中央値(100人いれば50番目の人の値)」が用いられることが多い。実際、日本の場合、中央値はここに示された550万円よりも100万円以上低い430万円程度となる。

 ただし、全世帯平均の場合は、単身高齢の年金生活者などが含まれるため、大きく数値を下げる。4人世帯に限った年間世帯収入は下のグラフのようになる。勤労世帯がおおよそ745万円、無業者も含む全世帯でも710万円程度となる。

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 同様にサンフランシスコの4人世帯中央値を見ると、サンフランシスコは12万3859ドルであり、2019年の為替レート換算でおおよそ1330万円となる。差はだいぶ縮まったのだが、それでもまだ大きな問題がある。サンフランシスコは、全世界の先端企業が集まるシリコンバレーに最も近い人口100万人都市であり、アメリカの中でもとりわけ高収入な地域なのだ。日本的にいうなら、「東京都の都心5区」を取り上げて、そこの年収をどうこう言っているのと同じだろう。

 ちなみに、サンフランシスコがどれだけ高年収かを示すために、全米主要都市の4人家族世帯年収の中央値を以下に示してみた。2019年の為替レートを使っている。

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 ニューヨークはおよそ750万円、ロサンゼルスは730万円と、日本との差は大きく縮まる。シカゴになると670万円で日本以下、フィラデルフィア(510万円)やデトロイト(370万円)などの斜陽都市となれば、日本の中央値を大きく下回る。つまり、「全米でも突出して高収入な地区であるサンフランシスコ」と比較すること自体に大きな無理があるということだろう。

 後述するが、1国の経済富裕度を見る指標としては、国民一人当たりのGDP額を見るのがわかりやすい。これで見る限り、アメリカは日本の1.6倍にもなる。両国の労働分配率には大差がないことからすると、賃金収入の比較もこの程度の差になるのが妥当だろう。

 ただし、米国の場合、貧富の差が激しい。上記の都市別の世帯収入比較グラフを見ても、それはわかるだろう。

 また、こんな傍証も上げておく。コロナにより疲弊した経済を立て直すために、トランプ→バイデン2代の大統領にわたって対策が講じられた。たとえば2021年2月に成立した対策法では、個人収入が8万ドル以下の人に限り、1400ドルが支給されることになっている(個人収入が7万5000ドルを超える人は半額、未成人も半額)。この支給者は3億500万人あまりと想定されていた。2019年末のアメリカの人口は3億2839万人なので、9割以上の国民に給付されることになる。逆に言えば、8万ドルを超える年収を得ている人は全人口の7%、就労者(約1億6000万人)比でも15%程度なのだろう。