「主に考えられるのは迷子になること、迷子だと感じることです。台湾には『ウーニェン(無念)』という言葉があります。考えないという意味です。何も考えていないのではなく、心が無になっている夢の中のような状態(revery)、1つの可能性にこだわらず、色々な可能性を広げていく、といったことです」
デジタルビジネスにおける倫理を検討するにあたっては、ガイドラインやルールという答えに向かって一直線に進むのではなく、そのビジネスがもたらす可能性や危険性をああでもない、こうでもないと想像し、いったん迷子になり、しかもその状態を楽しむくらいの姿勢が望ましい。
改めて「倫理」とは何かを考える
ところで筆者は「AI倫理」や「倫理スキル」といった言葉に違和感を持つ。ここまで述べたのは「セキュリティ、プライバシー、公平性、透明性あるいはアカウンタビリティに関するガイドラインやルールを作るスキル」のことであってわざわざ倫理という言葉を冠さなくてもよいのではないかと思ってしまう。
そもそも倫理とは何だろうか。冒頭で引用した日経記事には「倫理ルール」「倫理原則」「倫理の指針」という表現があるが倫理とは何かまでは書かれていない。
広辞苑を引くと「人倫のみち」「実際道徳の規範となる原理」などとある。英語ではethicであり、Websterのオンライン版を検索すると次の記述が出てくる。
- the discipline dealing with what is good and bad and with moral duty and obligation
- a set of moral principles : a theory or system of moral values
- a guiding philosophy
- a consciousness of moral importance
つまり道徳にかかわる規範、原則、価値、哲学などを指す。善き人としてどう生きるか、これは一人ひとりの課題だがスキルを磨いてどうにかなる話ではない。
どうしてAI倫理や倫理スキルと書くかというとethicを倫理と訳したからである。だが今回述べた文脈におけるethicは自主的あるいは法的な規範やルールを指し、人の道や道徳とは異なる次元にある。もっと狭い領域の話、下部の話である。
例えばethical drugとは医師の処方が必要な薬のことを指し、これを倫理薬あるいは道徳薬とは言わない。AIの運用ルール、ルールを決めるスキル、と訳したほうがよかった。
もちろん規範やルールを決める人間の倫理や道徳に難があっては困る。社員の倫理観を育むことも人事部門の役割かもしれない。そうなるとそもそもの「観」が問われる。ibgの好川一(まこと)代表は次のように指摘する。
「問題意識、危機意識や当事者意識を支えるのは世界観・社会観・人生観・死生観。ところが日本の教育を受けた若者は『観』の形成がないまま大人になり社会に出てしまう。そういう現状を前提に人事部門は社員教育を組み立てる必要があるのではないか」
連載『人材開発の情識』では、人事のお仕事をされている読者の皆さんからご質問やご意見を募集しています。連載の主題は「デジタル人材」をどうやって揃えるか。しっかり活躍してもらうにはどう処遇すればよいのか。「デジタル化」や「DX(デジタルトランスフォーメーション)」といった言葉が躍り、デジタル担当役員を置いたり、DX推進室を設置したりする企業が増えています。しかし、実際の担い手が足りない、いない、という声も聞こえてきます。デジタル時代の人事戦略についてご質問・ご意見をお寄せください。連載の中で回答します。ただしすべてにお答えすることはできませんのでご了承ください。
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