人事部がラインかスタッフかという点についてドラッカーは次のように書いていた。「伝統的にアメリカでは、人事部は方針と手続きを考え、助力し、監視することをもって、自らの仕事としてきた」。米企業は人事異動や配置換えを事業部門で決める。ただし「人事部がラインの機能を持つ前例は数多く存在する。日本の大企業ではつねにそうであった」。確かに日本では人事部が異動や配置換えを指示する場合がある。ただし、「仕事の流れや関係」と「仕事やチームの組立」にまで踏み込むことは少なかった。

 人事部の任務と機能が変わるのは変化に対応するためである。ドラッカーは技術、労働力の構成、年齢構成の3点の変化を挙げた。工場やオフィスにオートメーションの技術が導入され、効果を出すために仕事のやり方を変える必要がある。肉体労働者の比率は下がり、知識労働者の比率が上がる。年長の管理職・専門職の層が厚くなり、昇進ではなく「仕事そのものの中から満足感と達成感を得られる」ようにすることも求められる。

いかにして脱皮するか

 ドラッカーが『人事部の陳腐化と脱皮の必要性』を書いてから35年経ち、様々な取り組みがなされてきたが、人事部の脱皮が終わったとは言い難い。日本においてこの35年は経済が停滞した時期であったし、働き手の満足度と達成感は下がったのではないか。

 ドラッカーの指摘が間違っていたわけではない。技術の変化は続いており、昨今ではデジタルトランスフォーメーションという言葉が喧伝されている。トランスフォーメーションのために仕事の流れを変え、人材を再配置しなければならない。

 知識労働者の比率は上がっているし、人材獲得のために「満足感と達成感を得られる」仕事がある、と学生や若手に呼び掛ける必要もある。Human ResourceではなくHuman Capitalだとする向きもあるが、Capitalの価値を高められる人事部の機能はドラッカーが指摘した通りであろう。

 人事部の脱皮が難しいのは人事部だけで進められる話ではないからだ。

 仕事を変え、新たに必要となる人材像を描くとなると経営者から最前線の社員まで全員に関係する。変えるという方針に賛成が得られても具体策という各論をまとめ、進めようとすると議論百出になってしまう。中長期計画を作る際に人と仕事を再定義したとしても経営者が交代するとやり直しになる。他人の仕事ならともかく自分の仕事のやり方を変えることに現場も抵抗する。

 この難問を解けるのは経営者本人、あるいは経営者に近い経営企画部門あるいは社長室であるはずだがそれが期待できない場合、人事部も経営者に近いはずだから、まず人事部から変えてはどうか。「人事部だけで進められる話ではない」のだがそう言っているといつまで経っても変われない。

 人事部長が自部門の任務と機能を見直す、と部員に指示すればよい。それが期待できない場合、将来を担う人事部の中堅か若手が見直す活動を始めてもよい。どちらにしても人事部以外の人の協力が重要である。例えば現場をよく知る人を人事部に呼ぶ。