――今、見直されているリベラルアーツや文理融合学部のはしりですね。大学院に進もうとは思わなかったんですか?

中島:社会人経験を積んでから大学院に行ってもいいかな、と思って就職を選びました。いちばん自分の強みが生かせそうで興味がある仕事を探し、「それなら人事がいい」と思って就活しました。某総合電機メーカーの最終面接の後に電話で「合格です。ただし条件があります」と切り出されました。初めての内定だったのでドキドキだったんですが「人事部門に配属することを条件に採用します」と言われて。やった!とガッツポーズでした(笑)。

――内定時点で配属が決まるのは、面接で「人事向き」と判断されたんですね。それはすごいです。

中島:面接官が「こいつは人事っぽいな」ということで人事枠に決めたようです(笑)。ともあれ、会社から「人事が適任」と評価されたことは大きな自信になりました。入社して最初は本社の人事部門に配属されました。給与計算、勤怠管理、残業時間削減、労働組合本社支部との窓口など、人事の基礎を学びました。

――その後、海外勤務も経験されたのですね。

中島:本社人事部門に2年間いて、2012年の7月から3カ月、マレーシア工場に実習に行ったんです。当時、そこで若手優秀層がたくさん辞めてしまうという課題があったので、リテンションプラン(退職者引き留め施策)の作成や、給与水準のベンチマーク策定に携わりました。計画を作ってプレゼンしてOKをもらうところまでで時間切れになってしまい、実際の運用まではできませんでしたが……。

――3カ月と限られた時間のプロジェクトだったのですね。海外勤務は中島さんが希望したのですか?

中島:いやいや、全く海外志向はなかったんです。だから最初はしんどかったですね(苦笑)。マレーシアは中華系、マレー系、インド系と大きく3つの民族からなっています。バックグラウンドが異なる人たちの中で仕事を進める難しさを感じました。でも、本社人事では期限通りにこなす仕事がメインでしたが、マレーシアでは「課題を見つけ、情報を集め、考えて提案する」という仕事を任されました。だから自分でやりたいことをどんどん見つけるようになって、最後はマレーシアに拠点がある他社にまでヒアリングに行ったりしていました。そうした働き方に加えて、海外にも視野が広がり、得るものは大きかったですね。

――なるほど、合点がいきました。この時の「課題を見つけて解決する」という実践経験が、今の取り組みにつながっているんですね。

しんどくても、一人ひとりと向き合うこと

――それからも紆余曲折があったんですよね。とても大変な仕事を任されたと……。

中島:本社に戻った後の仕事でしんどかったのは、関連病院の事業譲渡にまつわる人事交渉です。当時その会社では「選択と集中」をスローガンに大胆な改革を断行していました。関連病院も事業譲渡の対象となり、外部の医療法人に継承することになったんです。医師や看護師など150人ほどの全従業員に転籍条件を説明すると同時に、継承先医療法人の事務長と給与や処遇などの交渉を行いました。

――転籍すると今までより条件が悪くなるような、厳しい交渉だったんですか?

中島:いえ、継承先がこれまでと同じ年収を維持すると言ってくれて助かりましたが、それでもかなり反発がありました。「転籍したら仕事がきつくなるのでは」「最初は年収維持と言っていてもすぐ給料を引き下げられるみたい」という噂が流れたり。集団心理なのか、こうした噂が流れると反対ムードが高まるんですよ。そうなると、全員集めて説明会を開いても納得してもらえません。

――従業員の不満を受け止めつつ継承先との交渉を進めなければならず……解決の糸口はどうやってつかんだのでしょう?