研究が明らかにした「職場の意外な事実」

 東大の下山教授はこれら4つの研究結果について、「ANAエアポートサービスの現場の皆さんが、普段からうすうす感じていたことではあるだろう。けれども、データとしてその輪郭を明確にしたことが、現場への価値となったのではないか」と見る。

 ANAエアポートサービスの現場からは、上司の存在感の大きさが意外だった、という声があったという。ANAエアポートサービスの公認心理師である大井氏は次のように語る。

 「ANAエアポートサービスの職場は同僚同士の仲が良い。そのため現場の上司たちは、若手のグランドスタッフにとって自分たちがそれほど重要だとは思っておらず、むしろ『私たちの話に耳を傾けてくれるのか』『同僚などの方が相談相手としてふさわしいのではないか』と考えていた傾向があった。意外な結果として浮かび上がった上司の存在感は、職場の働きやすさを高めるための重要なポイントだと考えている」

 ANAエアポートサービスは、これらの研究成果を具体的な職場改善に生かしていく。まずは研修や社内カウンセリングの場で研究結果に基づく知見を提供することから始めた。社内の公認心理師である大井氏のもとに心理相談に来た社員が、「そうやって言えばいいんですね」と資料をスマホのカメラで記録することもあったという。

 「相談者の感じ方や行動様式が実際に変わるかどうかが重要。研究結果からは仕事現場に即した解決策も併せて提示されており、実効性は高いと思う。データではなく私の主観だが、研究結果を提示すると相談者の反応はとてもよく、高い納得感をもって受け止められている様子だ」(大井氏)

困難な経営環境だからこその可能性

 共同研究の成果を生かした職場改革のプロジェクトは、新型コロナウイルスの影響もあり、現在は一時的にストップしているという。ただANAエアポートサービスの空港業務は社会インフラでもあるため、感染対策や一定の運営制限をかけたうえで業務を継続させる必要がある。

 未経験の事態が重なるなかで、ANAエアポートサービスでは新入社員を中心に不安感が高まる社員も見受けられるという。共同研究の企画・推進を担ったANAエアポートサービス旅客サービス部国内業務課リーダーの大曲哲雄氏は、「職場一丸となって乗り越えるべきこの時こそ、心理面でのサポートがますます重要になってくる」とし、共同研究の成果の重要性を強調する。ANAエアポートサービスでは社内の公認心理師である大井氏のナビゲートの下、メンタルヘルスの知見に基づいたリモートワークの手引書を配布した。また、従来は対面で受けていた大井氏による社員の心理相談を、電話などを使ったリモート環境でも受け付けているという。

 翻って産業界全体を見ると、政府の方針もあって「働き方改革」あるいは「健康経営」といった経営キーワードが頻繁に取り上げられるようになった。また個々の企業の視点で言うと、価値創出の担い手である従業員のモチベーション維持・向上は喫緊のテーマとなっている。

 とはいえ、従業員のモチベーション向上はもとより、働き方改革、健康経営、いずれのキーワードについても具体策や決定打を繰り出せずに考えあぐねている企業は多い。そうしたなか、臨床心理学の知見を使って、従業員のメンタルヘルスに有益なポイントを見いだそうとするこの共同研究は、先取的な事例とみてよいだろう。

 システム思考の観点で職場と従業員の関係を見てみると、個々の従業員は職場というシステムに大きく規定されながら活動することになる。企業規模が大きくなればなるほど、個々の従業員にとって職場というシステムは強固な存在として立ちはだかる。

 しかし、どんな組織であっても、職場と従業員個人は相互に影響を与えている。つまり、職場が従業員個人の在り方を規定する一方、従業員の在り方が変化しそれが積み重なれば、職場というシステムに対して影響を与える。

 今回のような共同研究が、組織の中にいる個人の心理構造を明らかにし、個々人がより良く変化することを促すことができれば、中長期的には職場と個人の間に良きフィードバック・ループが作り上げられることだろう。