「ダメ社員」だった過去の自分がきっかけ

 2つの研修に共通するのは、一泉氏が毎回2時間以上も立ち続けで熱く語りかけることだ。この原動力はどこにあるのか。「もとはといえば、私自身が『ダメ社員』だったんです」と一泉氏は明かす。

 1975年に明治大学を卒業後、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)に入社した当初は「毎日、恥のかきっぱなし」(一泉氏)だった。3カ月の新人研修の後はトヨタ自動車の販売店担当を任されたが、当時はOJTもなく、一人で考えて行動しなければならなかった。仕事内容もろくに理解しないまま客先に足を運んでは、怒られたりあきれられたりの毎日だったという。

 「当時は、ビジネスパーソンとしての基礎もできていませんでした。時間管理ができず、しょっちゅうダブルブッキングしては客先で怒鳴られる。整理整頓ができず、机の周りはぐちゃぐちゃ。資料をなくしたり、物を詰め込んだ引き出しが開かなくなったりとひどい状態で、絵に描いたような『ダメ社員』だったのです」と一泉氏は当時を振り返る。

 一泉氏を変えたのが、入社3年目で遭遇した「大ピンチ」だった。「私の担当する会社が、幹事会社をうちから他社へ切り替えると言ってきた。何とかこの危機を乗り越えなければ、と必死で考えました」(一泉氏)。

 そこで立てた戦略が、取引先企業の担当役員を巻き込み、それを社長にアピールすることだった。まずは一泉氏自身が営業成績を上げ、担当役員の信頼を得たうえで、その功を担当役員に譲ることを考えた。「具体的には、その会社の社長を定期的に訪問する際に担当役員に同席してもらい、成績アップを担当役員の功績であるように話しました」。これを毎月実施することにより、一泉氏が相手から好感を持たれ、信頼を築くことで結果的に幹事会社切り替えを回避できたのである。

 この経験を一泉氏は総括する。「『ダメ社員』だった自分が、何とかピンチを乗り越えようと、初めて必死になって考えた。うまくいったのは、自分の力量を誇示せずに、相手に花を持たせること。そして相手が最も喜ぶのは、相手の上司の前で褒めてあげることだと気づいたからです」。このように、ピンチを切り抜け、「ダメ社員」から「考える社員」に成長した一泉氏が行き着いたのが、「組織の中では、常に相手の立場に立ち、関係者全員が幸せになるように動けば、万事うまくいく」という「真理」だった。