六十五歳以上の人が三千万人を超え、高齢化率(六十五歳以上人口の全人口に対する比率)が24.1%となった。断トツの世界一である。

人類が目指す究極の社会とはどんな社会か。意識してきたかどうかは別にして、これまでの人類の営みをみれば、人類が長生きを目指してきたのは間違いないだろう。その根拠なら、いくつも積み上げることができる。その長寿社会を世界に先駆けてつくりあげた日本という国、国民はすごい。私は本気でそう思っているが、どうにも気勢が上がらない。なぜだろうか。

第一に高齢化に伴う暗い話が多すぎる。第二に、にもかかわらずこの暗い事件や出来事の頻発する社会をどうしようとするのか、その意欲も方向もさっぱり見えないからである。

以前にも述べたが、今、日本が直面している高齢問題とは高齢期をどう生きるかという個人の生き方の問題を超えている。高齢化した大集団が発生し、人口の減少とともに人口の重心が高齢期の方へと移ってゆく社会では何が起こるのか。

高齢者が増え、若い層が減って支え手が足らなくなる社会保障問題は、誰にもわかりやすいというだけで、氷山の一角にすぎない。これまでの社会のシステムや制度はピラミッド型の人口構造と、それが拡大していくという前提のもとに築かれてきたものだから、この前提が崩れれば通用しなくなる。雇用のあり方も、都市機能のインフラである交通、電気、水道、下水などあらゆるものがそうである。2010年の人口が一億二千八百万の社会と、2060年には人口が八千六百七十四万になり、高齢化率が40%となる社会とが、同じシステムや制度でよいわけがない。

大地震とは違って見えにくいが、高齢問題は二十一世紀の最大の問題である。放置しておけば、そのもたらす災厄の大きさははかりしれない。折しも、民主の代表選、自民の総裁選があり、国難という物騒な言葉が飛び交っているが、その通りだと思う。この国難をどう乗り切るのか。これさえつければ、どんな意見も正当化できるのだろう、耳障りになるぐらい「国民の…」「国民の…」である。

それほどに国民の声や生活が気になるなら、この未曾有の超高齢社会を実現し、歴史的大転換期を迎えている日本をどんな国にするのか。それが論点にもならないというのはどういうことなのかと思う。

(中日新聞 2012年9月30日掲載「長寿の国を診る」より)