高齢社会になると産業構造はどう変わるのか。産業界を含め多くの方が、今までの在り方では行き詰るというが、その先が読めない。

人が欲しがるものとは、生存や生活に欠かせないものを除けば、欲望を満たしてくれるものだろう。が、欲の中身と強さはどうすれば分かるのか。要するに、手に入れるために使うお金に見合う以上のものをどのように見つけ出して提供するかだ。

私は一九七二年に初めて米国を訪れた。ニューヨークに着き空港を出てから高速道路、ビルディングなどに圧倒され、カルチャーショックに見舞われたが、二十年後には日本もそうなってしまった。

病院の視察でも衝撃を受けた。ディスポーザル(使い捨て)製品であふれていたからだ。「一回使っただけで捨ててしまうのか、何ともったいない」とため息が出たが、わが国では、注射器だけでなく注射針までも消毒して再使用していたからである。

その後、日本もまたたく間にディズポーザルの時代に変わったが、再使用から使い捨てへという価値の転換と社会の変化によってどれほどの経済効果が生まれたのだろうか。使い捨てに伴う、ガラスからプラスチックへという製品開発の発想は、当時の米国という社会背景と技術があって生まれたことで、日本では考えようにも想像することすらできなかったことだろう。

二十世紀は欧米を含め、病院医療が全盛を極めた時代であった。だが、わが国のこれからの医療は、在宅医療を核として地域でみてゆく地域完結型の医療提供の在り方に変わる。在宅中心の医療提供体制になれば、医療・介護にかかわる技術も製品も、それ用に変えなければならない。

新しい製品開発に必要な知識や技術力が、今の日本にないわけがないが、それよりも何よりも、超高齢社会、世界一という条件だけは日本にしかないのである。これは医療のしかも在宅医療に限ったことではない。新しいニーズは状況が変われば生まれるが、状況が変わっても今までの価値観に縛られていては見えてこないものもある。

アジアは今は発展途上にある国が多いが、高齢化の進行は日本並みで、十年後は世界の高齢者人口の70%を占める。十年、二十年、三十年のうちには次々と日本と同じような人口構造の高齢社会に向かうのである。これほど大きな市場はないだろう。

(中日新聞 2011年1月29日掲載「長寿の国を診る」より)