メディアで何度も取りあげられたせいか、胃ろうについての理解が深まるとともに、不安も大きくなってきている。

国立長寿医療研究センターでは、どのような終末期を迎えたいか、迎えたくないか、患者さんに希望を聞いているが、「延命のための胃ろうによる栄養補給」の項目では、93%の方が胃ろうを拒否している。

また、二〇〇六年度に長寿科学振興財団が行った全国の病院や介護施設などへの調査では、医療関係者に「自分ならどうするか」を聞いている。胃ろう造設の手術をしている一般病院の医師では80%、栄養の注入をしている特別養護老人施設の看護師では、90%以上が拒否すると回答している。

胃ろうとは、腹の皮膚から直接に胃に穴をあけて、管を留置し、そこから栄養を注入する方法である。食道の手術のあとなどで、口から食べられなくなったとき、再び口から食べられるようになるまで、一時的に胃ろうを造って栄養を補給するが、苦痛が少なく効果も高い。このような病気では、この技術の開発によってどれほどの人が救われたことだろう。

けれども開発された技術は思わぬ使われ方をする。あれほど多くの人が延命のためだけの胃ろうなら、いやだと言っているのに、なぜか増え続けている。今では四十万人以上の方が胃ろうを設置されており、その増え方は驚異的である。

しかも、造るのはよいが、いったん造ってしまったら、誰かが面倒をみないわけにはゆかないのに、引き受ける場所がない。寝たきりになって、自分で判断することもできず、時間ごとに食料を注入されるだけの最期の迎え方はいやだ。そう願い、そう意思を表明しても、望みはかなえられない。しかも、望まぬおぜん立ては関係者の善意であつらえられたものだ。

胃ろうの問題は、ひとの死のあり方にかかわる根源的な問題だ。にもかかわらず、行き場がない、家族が介護できないといった現実の前では、尊厳や倫理などいくら説いても無力である。ひとの生き方にかかわることは価値観の問題で、他人がとやかくいうことではないと言うのは正しそうだが、本当にそれでいいのか。

何度でも言うが、これは医療を超えた社会的、経済的、政治的な問題であり、わが国がどんな高齢社会をつくろうとしているのか、その象徴的な問題である。

(中日新聞 2010年9月30日掲載「長寿の国を診る」より)