人がお金を出してでも知りたいと思うことなら、雑誌の目次を見れば分かる。いつの時代もスキャンダル記事と性関連の情報に事欠くことはないが、これらを知りたがるのは人間のもつ根源的な属性だろうか。

このごろは高齢期をどう生きればよいか、どう死ぬかとか、認知症になったらどうするか、といった高齢者の生き方や死に方に関する記事が確実に増えてきている。高齢の当事者だけでなく、家族を含め人口の高齢化にまつわる問題が社会的にも深刻度を増し、ひとごとではすまないところまできているということだろう。

政治や経済問題も男性向け雑誌では定番である。最近は北朝鮮や中国との外交危機に関する記事が圧倒的だ。軍艦の接触で、レーダー照射を受けたと言われても何のことやら分からないが、銃器発射の照準合わせだと聞けば肝が冷える。北朝鮮の核開発も長距離ミサイルに搭載可能にまで実用化されたらしいが、こうなると心配なのは武力衝突である。

どんな争いも互いが納得せず、言葉のやりとりが尽きれば、理がどちらにあるかを超えて次に出てくるのは金か暴力である。戦争だけはやってはいけない、絶対に許せないと決め、誓うのは自分たちの都合で、相手が何を考えているかは別である。だったら、どうすると言われても、提示される選択肢のどれも受け入れることはできない。で、どうするのだ。そのうち何とかなるだろう。

わが国では、議論を始めれば解決が至難な、あってはならないことは、あるはずがないことにしてしまう。あるはずがないことは、ないことだから、ないことはとりあげないか、先延ばしにする。だから、あってはならないことが出現すると、思考停止状態になってしまうのである。

高齢問題は大丈夫だろうか。人の生死にかかわることだから、認知症になっても、動けなくなっても高齢者を切り捨てるようなことはあってはならないことである。だから、高齢者を切り捨てるなど、あるはずがないし、これからもあり得ない。

そうあってほしいのは願いだが、津波や原発などと違ってこういう話は、よほど顕在化してこないと見えにくい。見え始めたときはすでに手遅れである。私には、居場所も死に場所もなく行き場を失った高齢者の姿が見えるのである。

(中日新聞 2013年2月27日掲載「長寿の国を診る」より)