新聞の一面に、検察崩壊という見出しが出る。崩壊とは、建物や組織が壊れることで、いずれも人間のつくったものが使えなくなるということだ。建物の場合、地震などの天災によって壊れれば崩壊だが、人が壊せば破壊である。

戦後、わが国がつくり上げてきた社会システムがガタガタである。学級崩壊や教育崩壊が深刻化しだしたのはいつごろからだろう。

病院崩壊、医療崩壊と叫ばれるようになったのは、二〇〇五年ごろからである。そして、今回の検察崩壊と、とめどがない。

組織やシステムは天災では壊れないから、言うなら人災である。教育も医療も検察も、人が壊したのなら、破壊なのになぜ崩壊なのか。考えてみれば、老朽化した建物が自然と壊れる場合には崩壊というから、ひとの意図や意思が入っているかいないかで使い分けているのだろうか。

ひとの命や財産、そして生活の安全が保障されるには、社会に一定の規範と秩序は欠かせない。教育も医療も検察も、ひとが安心して暮らすための安全装置であり、これが機能しなくなれば、社会は崩壊する。

ヒポクラテス(紀元前四六〇~三七七年)は、医師として何よりもまず患者に“害をなさない”ことを神に誓った。害になると知りながら、他人にしてはいけないというのは、医療に限らず、人が社会で生きるための基本的で普遍的な約束であり、知恵である。これが信じられなければ、何も信じることはできなくなる。

組織は、つくってしまうと組織自身を守るために動くようになるというがそれは違う。人が使命や論理を放棄した時に組織も変わるのであって、組織が勝手に変わるなどということはない。組織の腐敗とは、人の腐敗であり、腐り始めると際限なく進むから、気が付いたら直ちに、治療しなければならない。手遅れになると人から人に感染してゆくからである。自浄できないほど人が壊れたら立て直しはきかない。

医療がシステムとして、かなり危ないのは事実だが、崩壊はしていない。何よりもわが国の医療人は壊れていないし、教育や検察でも、関係者が壊れているなどということはないだろう。修復不能を意味する崩壊という言葉をあえて使うのは、今、迎えている危機への対応を間違えると本当に崩壊までゆくぞという強い警告だと思いたい。

(中日新聞 2010年10月29日掲載「長寿の国を診る」より)