社会保障制度改革国民会議は、昨年十一月三十日に第一回が開催されて以来、これまでに十二回行われた。この会議は、社会保障 制度改革法に基づき設置されているため、期限が今年八月二十一日と決められていて、会の延長はなく、期日内に結論を出さなければならない。医師である私の委員としての立場は、一つは四十年以上にわたって現場で、内から医療を見てきた医療人としての立場であり、もう一つは専門職である医師という専門家としての立場である。

社会保障問題は、医療、介護、年金、少子化の四分野にわたるが、医療・介護については、七回から十回まで集中的に議論が行われた。九回には委員からの意見表明があり、私は「いつでも好きなところでお金の心配をせずに求める医療を受けることができる医療」を「必要なときに適切な医療を適切な場所で最少の費用で受けることができる医療」への転換が必要であると述べた。

厳しい言い方をすれば、今は間違った医療が間違ったやり方で提供されているということだが、言い方を変えれば、高齢者には高齢者に合った医療を、それにふさわしい方法で提供すべきだということで、当たり前のことである。

国民会議が設置された目的には皆保険制度を守ることもあり、つまるところは医療費の需給バランスをどう健全化するかというお金の問題である。

大病院の専門診察料を三つも四つも回って風呂敷いっぱいの薬をもらってくるという、これまでの医療のあり方がいかに高齢者には良くないか、五剤以上の薬の服用では転倒が増え、六剤以上なら副作用が増えるという研究データも出てきているのである。

高齢者にふさわしい医療とは、高齢者の身体だけでなく生活の背景までを把握している、かかりつけ医を中心に、必要と判断されたときには、専門医をはじめとして他の職種との密接な連携の下に行う生活を支えていく医療であり、このような医療の展開はお金の節約にもつながるのである。

川喜田愛郎先生の、医学概論(一九八二年)の冒頭には「病気があって医学が生まれ、病人のために医療がある」と記されているが、なぜこんな当たり前のことを述べなければならなかったのか。先生は当時からすでに医療のこの原則的な構造が壊れかけていることを見抜いていたに違いない。

(中日新聞 2013年5月30日掲載「長寿の国を診る」より)