社会保障制度改革国民会議では、医療・介護保険料の医療費を支払う側、使用する側のそれぞれの意見を聞き議論が行われた。

保険制度とは、医療費や介護費用が保険料を上回ったり、国民が保険料を負担できなくなるようでは成立しないが、わが国の現状は、保険料だけでは医療費も介護費用も賄うことができず、税金と国債による借金を投入して補填しており、このような制度を保険制度と言ってよいのかという厳しい意見もある。

支払い側は、もうこれ以上の負担は不可能だ、限界である、これ以上の負担は企業活動にも生活にも重大な支障が出る、公費によって補ってもらうしかないと、訴える。

医師会、病院団体など医療提供側は、今までの制度が現状に合わなくなってきていることをよく理解しつつも、五指に余るさまざまな理由を挙げて変革は難しいと言う。

医療制度やシステムは、社会資源を公平に効率よく運営管理していくためになくてはならないものだが、必要とされる医療は時代や状況によって変わるから、制度やシステムを再考するときには、最初にどんな医療がどれほど必要かを明らかにしなければならない。そして、何よりも、何のための、誰のための制度、システムかをあいまいにしてはいけない。

私は支払い側の方たちに、「皆さんの窮状は分かりましたが、そもそも皆さんはどんな医療を保険で受けたいとお考えか。これについてどのような議論が行われているのか聞きたい」と質問をした。

予測はしていたが、「そんなことは考えたこともなく議論もしたことがない」という返事であった。どんな医療を行うかは、医師と患者とその家族の三者で密室に近い状況で決められる。

これほどの個人情報はないから当然だが、その密室で、医学的適応と社会的適応に個人の価値観を加えて治療内容が決まるが、それが国全体の医療費になる。三十七兆円を超える医療費も毎日、毎日の一人一人が受ける医療の積み上げなのである。

今は、医師の判断だけで、治療法が決められる時代ではない。社会保険財源の危機的な状況にあって、保険料を負担する国民を代表する団体が、財を有効に使うために、どのような医療を求めるのか考えたこともないというのはどういうことなのだろうかと思う。

(中日新聞 2013年6月29日掲載「長寿の国を診る」より)