技術の進歩には際限がない。私たちの世代は、テレビが出現したときに驚嘆し、宇宙へ人が飛んだ時には度肝を抜かれたが、今ではテレビは超薄型、宇宙には人が滞在している。

技術の進歩とは高度化、複雑化するということであり、医療ではその専門職能の領域やあり方に影響を与えずにはおられない。これまでも、放射線技術の進歩が放射線技師を、検査技術の進歩が臨床検査技師をという具合に、視能訓練士、理学療法士、臨床工学技士等々の専門技能職を国家資格としてきた。

医師は医療に関する行為なら何でもできるが、これだけ技術が進歩すると、資格があるというだけで、実際には何でもできる医師などいるわけがない。そのうえ、医師技術の進歩はより専門性の高い技術を生み、専門の分化を限りなく進める。医師は、これまでに確立された技術と新しい専門技術の両方を負担しなくてはならなくなり、一部を誰かが分担しなければ、仕事が増え続けてしまう。

今、医師の義務の一部を任せようという特定看護師(仮称)の制度化の動きが進んでいるが、賛成である。人もまた、有限な資源であり、社会の進歩発展を是とするなら、技術の進歩と、その職能の見直しは避けられないことだ。だが、見直しが権限と責任と待遇にどう影響するのか、関係者であれば無関心ではいられない、ましてや既得権益を侵される者が黙っているわけはないから、反対者がいて不思議はない。

しかし、繰り返すが、新しい医療技術の開発を進めるということは、技術と、その職能のあり方を見直すことと不可分のことだ。議論すべきは、いつ、どの職種に、どのように安全に確実に技術を移転してゆくかとか、そのための教育や研修のあり方についてであって、見直しに賛成か反対かではない。

そして、人の身体にかかわる話になると必ず出てくるのが、絶対に大丈夫か、だ。人に行う技術が何よりも安全でなければならないのは当然だが、人が行うことに絶対などあるわけがない。それでも、あくまでゼロでなければならないと言うなら、方法は一つしかない。何もしないことである。何もしないことによって生ずる損失と行うことによって起こる損失とどちらをとるのか。この手の話になると、よくこんな議論になるが、こういうのを閉塞感というのだろうか。

(中日新聞 2010年4月27日掲載「長寿の国を診る」より)

※2013年3月末、厚生労働省は「チーム医療推進会議」において、「特定行為に係る看護師の研修制度(案)」についての報告書を取りまとめた。同制度は、保助看法に「特定行為」を定め、その行為を (1)医師の指示の下、プロトコールに基づいて行う場合には厚生労働大臣の「指定研修」を義務付け,研修した旨を看護師籍に登録する(2)それ以外(具体的指示で行う)の場合も研修(院内研修等)の実施を努力義務化する─というものである。