わが国では、医者に診てもらいたいと思ったら、いつでも自分の好きなところへ行って診てもらうことができる。何の制約もなく、自由に医療機関を選ぶことができるというのは、日本の医療の最大の特徴であり、このような仕組みをフリーアクセスという。

命や健康に関わる問題だから、自分が信頼する医療機関を自由に選ぶことができるのは、素晴らしいことである。だが、選んだ医療機関で、いつ行っても気持ちよく診療が受けられるためには、条件がある。

何よりも受診する人をいつでも受け入れられるだけのゆとりが医療側にあること、そして医療機関を選ぶ側も、風邪のような軽い病気で専門病院に行くことのないよう、節度をもって判断しなければならないことだ。

フリーアクセスは制度で保証されたものであり、国民の権利である。いかに問題があろうと、いったん手にした権利を奪うような発言はなかなか受け入れられるものではない。だからフリーアクセスの問題に言及することは医療関係者だけでなく、政治的にもタブーとされてきた。

社会保障制度改革国民会議では、このフリーアクセスも議論の対象となった。今、救急車で搬送される患者の大半は八十代をピークに高齢者で占められている。ところが、実際には高齢者の80~90%は二次救急以下で対応が可能であり、三次救急の現場では、本当に救急救命が必要な人の治療ができなくなってきている。

一般の診療でも同様である。平均寿命が五十歳、六十歳の時代と、平均寿命が八十歳、九十歳の今では、同じ医療や医療提供のあり方で良いわけがないのに、専門医の方が安心できるのか、大きな病院に行く人が多い。専門性の高い病院は、それにふさわしい病気を扱うときには、素晴らしい威力を発揮するが、老化に生活習慣病を伴う高齢者の場合には、そのような医療は、適切でないだけではなく、時に有害でさえある。

私はこのままでは、財源問題もさることながら、本当に救命救急を必要とする人が医療を受けられなくなり、若い人の命と高齢者の命のどちらが重いか、といった議論にまで発展しかねない。それを避けるには、フリーアクセスを見直し、適正な医療が、適切な場所で受けられるようにシステムを再構築しなければならないと述べたのである。

(中日新聞 2013年7月30日掲載「長寿の国を診る」より)