国民会議が設置されたのは、皆保険制度を今後も維持してゆくためには、現制度を今のまま続けていく限り財源が足らず、需給の均衡を保っていくことは不可能と判断されたからである。この判断に間違いがなく、皆保険制度は守らなければならないという大前提に立つなら、答えは税の投入も含め負担の増加か給付の重点化しかない。

そもそも皆保険制度は守らなければならないものなのかという意見もあるが、私は、守らなければならないと考えているので、迷うことなく委員を引き受けた。委員の要請があったときに、これはどんな答えを出しても歓迎されることはないどころか、一つ間違えれば批判の矢面に立たされることになりかねないと思い、それなりに腹は決めていたのである。

負担の増加か給付の重点化かという選択肢しかない状況でどう知恵を絞るのか。より満足度の高い医療・介護サービスをいかに最少の費用で提供できるような制度、システムに再構築するか以外にはない。そのためには、会議では医師の権限と社会的責任、国民の価値観や権利など、これまでタブー視されてきた問題にも触れざるを得なかった。

報告書には、高齢社会にふさわしい適切な医療が適切な場所で最少の費用で受けられるように、これまでの病院中心の医療のあり方を変え、それに合わせて制度やシステムを変えるように提言し、医師側にも国民にも理解と責任と節度を求めている。

報告書が参院選の後に出たことに、何か意図があるかのような論調の批判もあったが、会議の期日は八月二十一日までと法律で定められていて的外れである。さらに付け加えれば、委員は自民、公明、民主の三党から推薦され、最終的には三党の協議を経て決められたこと、しかも会議は全て公表されており、私の知る限り、政治家や他からの委員への圧迫や干渉はまったく無い。

局面は政治の場に移った。これからは政治の出番であり責任である。

(中日新聞 2013年8月30日掲載「長寿の国を診る」より)