スポーツ、時代劇、ニュースといったところが、私が好んで見るテレビの定番である。グルメ番組は好きというほどではないが何となしに見てしまう。うーんうまい、食感がたまらないですねー、と出演者が感に堪えない、といった表情とともに吐き出す言葉はどれも同じ。なのに、廃れないということは、この種の番組が一定の視聴率を稼ぐことができるということだろう。

高齢者の医療がどうの介護がこうの、失業率がさらに悪化などと、連日のように報道される社会の現実に目を向けると、グルメどころではないだろうと思われるのだが…、どうもこうした社会の実態とグルメ人気との距離感がよくつかめない。

健康とは、病気や障害がなく、自立して生活が営める状態であり、自立とは、自分のしたいことが自力でできることである。その状態を維持するのに、食事がどれほど重要か。健康で長生きを実現するための十カ条とか七項目とかには、食事の問題がいつも中心にある、古今東西そうである。

例えば、江戸時代末期に記された養生訓をみてみよう。今のようにタンパク質、糖質、何グラム、塩分は、野菜は一日どれだけといった科学的な根拠などない時代だが、食のあり方について、よくもまあ、と言いたくなるほど、実に細かく教示されている。にもかかわらず、これほど大切なことが、こうしなさい、ああしなさい、あれはいけません、これもダメですと、くどくどと言われ続けられなければならないのはなぜか。

答えは簡単だ。食べることは人が生きていくうえでもっとも基本的な行為だが、大きな楽しみでもある。だから、ただ体に良いものを必要なだけ食べていればいいということでは済まない。

今、確実に得られる快楽と、我慢をしても確実に得られるかどうか分からない長生きのどちらをとるか。ほとんどの人は長生きに良いかどうかではなく、好きか嫌いか、うまいかまずいかで食べ物を選ぶに違いない。いくら良いと分かっていても、嫌いなものは食べたくないのである。おまけに食に対する欲だけはどれほど年をとっても消えることがない。

人はいくつになっても、何かを得ようとするなら、何かを我慢しなければならないのだろうか。困ったことだ。

(中日新聞 2009年9月29日掲載「長寿の国を診る」より)