生物学的な意味で、動物とひととは何が違うのか。動物は生殖能力がなくなったら、早晩死ぬが、ひとはそれからの人生が長い。女性では三十年以上あるが、なぜなのだろうか。動物の生存の第一の意味は種の保存である。ひとでは、種の保存は、生存の第一の意味だろうか。

種の保存とは、子をつくり、つくった子を一人前になるまで確実に育てることである。子孫をつくり育てるための大前提は自らが元気で丈夫なことだ。そのためには食べなければならない。

肉食獣が典型だが、食料を獲得するには、獲物を見つけ、襲い、殺さなければならない。獲物を見つけるには臭覚や聴覚が働き、襲うには脚力や跳躍力、殺すためには牙、爪、歯の強い力が必要である。狩った獲物を食べるには咀嚼(そしゃく)力が、そして消化吸収する力が欠かせない。老化とはこうした肉体の能力が衰退することである。動物には敬老はなく、食物を得る能力の衰退は死に直結するから、年寄りは生きられない。

ひとはどうか。食料は、座っていても寝ていても手に入る。かめなくなれば、入れ歯がある。それでも駄目なら軟らかい食べ物がある、ジュースにしてもよい。さらには血管栄養、胃瘻(いろう)だってできる。

環境や技術の進歩が、長生きにいかに大きな影響を与えているか。ひとは老化によって衰退した機能を、あの手、この手で補う方法を手に入れたのである。科学や医学は病気を治す技術だけでなく、死なないようにする技術も開発し、長生きを実現した。

だが、科学も医学も長生きをどう生きるのか、人間らしい老いの生き方とは何か、についても何も考えてこなかった。そんなことは科学や医学の使命ではないからである。

平均寿命が五十歳だったのは、たかだか七十年前だが、どうやら、ひとは種の保存という生物の存在の意味を超えた地点まで来てしまったようだ。そろそろ長生きを年数ではない、中身の議論にする時ではないか。いつまでも「ひとの命は地球より重い、問題無用」では済まないだろう。

(中日新聞 2009年10月30日掲載「長寿の国を診る」より)