建築家の安藤忠雄さんによる「長寿日本」という講演を聴く機会を得た。医学会での講演だったから聴衆は医者である。

最近は、外国へ行くと、経済の話ではなく長寿国日本が敬意をもって注目されていると強く感じる。けれども、どれほど世界一の長寿国、素晴らしい社会を創(つく)ったといわれてもピンとこない、現実は将来のことを考えると、何やら不安がいっぱいで誇らしい気持ちにならない。

長寿日本に、医療は大きく貢献したが、心配なことも増えてきている。第一に、患者にとっては、疲れた医者に診てもらうのは危ないので、医者には健康でいてもらいたいのに、このごろのお医者さんは相当に疲れているようだ。誰が、何が、医者をこんなに疲れさすのか。

もう一つは、建築の分野でもそうだが、技術が進歩すればするほど分化が進む、医療も急速に専門分化が進んでいるが、困るのは、調子が悪い時に、どの科へ行けばよいのか、自分で決めなくてはいけないことだ。全体を診てくれる医者はこれからはいなくなるんだろうか。

医療技術や制度、システムの問題は重要であるが、どこまで行っても万全はない。なのに、進歩、前進、発展を合言葉に、あれが足らん、これも足らんと前と上ばかりみているうちに、何か大切なものを失いつつあるのではないか。安藤さんに、そう指摘されているような気がした。

それにしても面白い講演だった。笑いっぱなしの一時間だったが、何があんなに面白かったのだろう。安藤さんは正式に建築を学んだことがないそうだが、今では頭に「世界の」を付けて呼ばれるほどの実績を挙げられた。この異端の人を学問の世界では、正統と権威の象徴である東京大学が教授として迎えた。

そのような建物にするのか、依頼者の希望や居住性はもちろんだが、周りとの調和、将来の街の構想など、設計では何を重視するのか、その価値観は学問の場で育った人とは相当なズレがあるようだ。安藤さんは何やら正統と異端の間に立って、その違いを面白がっていられるようにも見えるが、話されたことは基本中の基本で、医療でも建築でもどんな分野にも共通することだ。

何のための、誰のためのものか、突き詰めれば何でも同じである。笑っている場合ではないのである。

(中日新聞 2009年7月29日掲載「長寿の国を診る」より)