「人生の最後はどこで迎えたいか」という問いに、60%以上の方が、「自宅で」と答える。理由は言うまでもない「自分の家」だからだ。自分の家には自分の家のにおいがあり、音があり、あれがありこれがある。ドアを開けただけで、身体が感じる自分のものである。それは、その人、その家族の生活の場にしかないものであり、どれほど安心と安らぎをもたらすことか。

そして、何よりも自由がある。規則がない、制約がない、束縛がない、何時に寝て、何時に起きても勝手である。酒も飲みたいときに飲み、たばこだってすいたいときにすえる。居心地がいいのである。

多くの人の希望はこうだが、実態はどうか。2010年のデータでは、80.3%の人が病院で、4.8%が施設で、12・6%が自宅で亡くなっている。これでは、国民の希望とは随分違うではないか。1940年代から50年代には家で亡くなるのが普通で、病院で亡くなるのは稀(まれ)であったが、76年を境に病院死が在宅死よりも多くなり、その傾向はどんどん進んで、今のように病院で亡くなるのが当たり前になってきた。

なぜこのようなことになったのか。一つには医療が、死を敗北と考え、病気と徹底的に闘い、一分一秒でも長生きできるようにと、濃厚な治療を続ける“治す医療”を展開するようになったこと。

もう一つは、こうした“治す医療”が心配なくできるように、病院や病床数を増やしてきたということがある。科学技術の進歩、産業の振興によって都市化が進み、その結果としての核家族化が、お年寄りを家族で支えるという生活形態を壊してしまったという社会背景も大きい。

そして、超高齢社会である。高齢者が増えれば病気も死も増える、財も追いつかない。さあ困った。病院は、病院にしかできない急性期、重症の医療に特化し、在院日数を短くする方向に舵(かじ)を切った。それはいいが、今まで病院でしてきた回復期、療養期、緩和期、終末期はどうするのか。実は、日本の各地で、在宅医療への取り組みが進み始めており、病院でしかできない医療以外のほとんどのことは在宅でもできることが証明されてきているのである。

国は2012年を在宅医療元年とし、本気で普及させると腹を決めたようだが、在宅医療が超高齢時代の医療の切り札となるのは間違いないだろう。

(中日新聞 2012年2月28日掲載「長寿の国を診る」より)