「医療が大きく変わります。革命的といってよいぐらいの変化です」。最近、講演などで話をするときは、こんな言葉で始めることが多い。どんな風に、どんな理由で変わるのか、考えてみれば、医療が重要なことは分かっていても、医療のことは、中身についても提供のあり方についても、ほとんど気にせずにきたのではないか。

理由の第一は高齢者の増加である。二〇〇五年に20%を超えた高齢化率は、二十五年には30.5%、四十五年には40.5%と推計されている。高齢者が増えると病気の種類も量も変わる。

今までの医療は救命延命を至上命令としてきたから、死は敗北であった。しかし、高齢者には、時には病気と共存してでもQOL(生活の質)を落とさないように、そして、いよいよとなったら、納得して死を迎えられるよう支援してゆく医療が求められる。

死は誰にも来る、だから敗北ではない。今、国の委員会や医師会などで総合医とは何かが問題になっているが、治せばよいという医者ではなく支える医者とは何かを議論しているのである。

では、高齢者にふさわしい医療はどのようにして現場に届けられるのか、今までの、何でもかんでも病院でという医療提供のあり方を、地域全体で引き受けるという医療に変えていくことが求められる。

わが国は飛び抜けた病院数、病床数を持つ医療の提供体制をつくり上げ、誕生から死まですべてを病院でみてきた。深刻な財政問題がこんな医療提供体制の継続を難しくしたのは確かだが、同時に超高齢社会は人間にとって医療とは何か、という根本問題を突きつけた。考えてみれば医療だって生活の中にあるのが普通で、医療の中に生活がある病院は普通ではない、病院は、緊急避難の場である。

病院も診療所も介護施設も、専門医も総合医も、歯科医師も薬剤師も看護師も介護士も、あらゆる社会の資源が連携して役割を分担して、地域全体で生活を支えてゆくのが本来の医療の姿ではないか。

後期高齢者医療制度は、生活の中での医療こそ、高齢者にふさわしい医療提供のあり方と考えてつくられた制度でもある。確かにふざけるなと言いたくなるような不備もあったが、全否定で白紙に戻せが本当に良いのか、ここは冷静に考えてみるところだろう。医療改革とは生活改革であり、地域改革である。

(中日新聞 2008年7月30日掲載「長寿の国を診る」より)