改定率が3.16%の減という前代未聞の状況の中で、中身をどうするか、中央社会保険医療協議会での診療報酬の改定作業が終わった。簡単に言ってしまえば、医療費の大枠が抑えられて小さくなったパイを、どのように分けるかという議論である。高齢者が増えて医療費が誇張し続け、二〇〇一年度には三十一兆円を超え、国民皆保険システムの維持が困難になってきたため医療費抑制策ではすまなくなったのである。

この厳しい中で、在宅医療に関する部分には特別な配慮がなされており、高齢者医療を病院から、そして老人施設から在宅へ誘導してゆこうという意図が読み取れる。

老後は住み慣れたところで過ごしたい、そしてその時が来たなら、家族のそばで最後を迎えたい。聞けば、国民の願いはこうである。在宅医療のさらなる充実は、国民の要望に応え、そして医療費の節減にもつながるよい改革案ではないか。その通りであるが、肝心の点が抜けている。老いて病気になったら家で診てもらいたいですか、病院がよいですか、最後は病院で亡くなりたいですか、家がよいですか、と質問をすれば、家で家族のそばでと答える人が多いだろう。だが、これには前提条件がある。二十四時間体制の何でもそろっている病院と同じことをしてくれなどと言うつもりはないが、いつ、何が起こってもきちんと診てもらえるんでしょうネ。

残念だが、現状のわが国の医療提供体制では、この要求に応えるのに十分だとは言えないというのが、正直なところである。高齢者が増えると現実的になってくる医療問題に制度としては何とか対応しようとしているが、医療の中身が追いついていないのである。地域によっては、噴き出してきている高齢者の医療・介護問題にそれぞれが工夫して対応しているが、そもそも在宅医療とは何か、それを進めるにはどんな知識と能力を持った医師がどのような方法で実行するのがよいのか、まだまだなのである。なぜなのか。在宅医療のために、必要な人材を必要なだけ育ててこなかったからである。

今、わが国では医療の安全と質をどう保証するかが大問題となっているが、質については医療者まかせにされ、政策の重点は量の整備にあった。医療の質についての責任が医療の提供側にあるのは当然だとしても、人口構造、疾病構造等、将来を見据えて医療提供体制の大枠を決めるのは政策であり、これからは医療の質も医療政策のなかで同時に考えられるべきであろう。先のことを考えると気が重くなるが、まずは今をどうするかである。どのように在宅医療の質を高めてゆくのか。問題はどこで死にたいかではない、納得して満足してどこで死ねるかである。在宅医療の今後はわが国の高齢社会の運命を握る鍵の一つである。

(中日新聞 2006年2月26日掲載「長寿の国を診る」より)