「高齢者の医療の在り方検討委員会(座長・森岡恭彦日本赤十字医療センター名誉院長)」という、文字通り高齢者の医療の在り方について検討している委員会が、長寿科学振興財団に設けられている。この会で高齢者の医療の典型的な例ということで、胃瘻(いろう)が取り上げられた。

胃瘻とは、何らかの原因で口から食事ができなくなった人に、胃とおなかの皮膚とを貫通して穴を開け、そこから直接に食物を流し込むようにするもので、今では胃カメラのような内視鏡で安全に簡単に設けることができる。ところが、安全、簡単な技術の確立で、胃瘻を安易に設けられるようになってしまったために深刻な問題が生まれている。

経口摂取ができなくなったので、一時的に胃瘻をつくって栄養を補給し、経口が可能になったら胃瘻を閉じる。口から食べられないが、自分のことは自分で判断できる、このような場合に、胃瘻をつくって食物を補給することに異論はない。

誰もが首をかしげ、黙ってしまうのは、次のような場合である。意識はない、寝たきり、老衰、回復の見込みはない、終末期、といった状態が二つとか、三つとか重なっていて経口摂取のできない場合である。

胃瘻をつくってしまえば、食物を定期的に注入しなければならない。注入するには資格が必要であり、誰でもよいというわけにはいかないから、手間も大変だが、それよりも人の尊厳をおとしめることに加担しているのではないか、という呵責(かしゃく)から解放されないのである。

病院、老人保健施設、特別養護老人ホーム、訪問看護ステーションなどへのアンケートは、この問題の持つ複雑さを浮き彫りにしてくれる。第一に、胃瘻を設けるかどうかの最終的な決定は、ほとんど医師と家族で行われ、本人の意思が反映されていない。第二に、胃瘻をつくる人と管理する人が違う。

第三に、胃瘻を設ける人は少しでも延命をと言い、管理する人は、人の尊厳とはと問い掛ける。そして第四に、あなた自身が経口摂取できなくなった場合どうしますか、という問いには、意思も示せず回復の見込みもなければ、胃瘻をつくってまで生きたくない、がほとんどの人の答えである。どんな場合に胃瘻をつくり、どんな場合にはつくるべきではないのか。終末期の呼吸器を付けるか、外すかといった問題とそっくりである。

委員会は、医師、看護師などの医療関係者が中心であるが、議論が進めば進むほど「これは医療でカタのつく問題ではない」と委員全員がため息をついているのである。もはや医学的な価値判断の領域を越えている。この問題も先送りすればするほど、ない袖は振れないと金の論理が命の価値を決めだすに違いない。一体全体、人間の尊厳とは何なのか、行き着くところは同じである。

(中日新聞 2007年8月2日掲載「長寿の国を診る」より)