客観と主観での分類

PRO(Patient-reported outcome:患者報告アウトカム情報)という概念については、市民権を得たとまではいえないものの、少しずつではあるが医療分野に入り込んできているようだ。PRO概念には大きく2つの異なる意味合いが含まれると私は受け止めており、第一に「患者中心主義」の流れを汲んでいる点。医療の主役は患者さんであり、仮に何日かの延命が期待される治療であっても、それを選択するかどうかは患者さんの側にあるべきで、「治療したい」「治療して良かった」「治療しなければ良かった」は医療者ではなく、患者さんが判定者であるべきという立場、そこにPROの概念がフィットする。

第二に、「痛み」「吐き気」「かゆみ」など、患者さんでないとその発生や程度についてわかりようがないという種の情報があり、それを知る術としてのPROである。患者さんが訴えるこうした症状は主観データの典型といえるだろう。

さらには医療の専門家である医師や看護師の見立て、患者さんに寄り添う家族や介護士の見立てなどの評価も主観に属する。レセプトや電子カルテで知り得る主観データは総じて医療者の見立てと、医療者が患者さんから見聞きした患者さん主観に留まる。また、患者さんは案外と医師に対しては萎縮して本音を話せないということも往々にしてあるようで、「患者の本音」となれば、インターネットやSNSといったソーシャルメディア由来の情報活用も一考の余地があろう。

これに対して検査値は客観ということになる。安直に客観的データのみを信用し、主観は信用ならないという考えもあるようだが、これは科学的立場とはいえない。主観よりも優れた判定がない項目や学問領域において、特にその専門家の主観は人類としてその分野でもっとも妥当な評価に他ならない。これは科学だ。

また、検査データにおいては、果たしてその測定器や測定手法のバリデーション(信頼度合い)も考慮する必要がある。それでもなお、技術革新により脈拍、心拍数、呼吸数といったデータを日常生活の中で測定し電子化出来るいま、こうしたデータの活用可能性を無視すべきではないだろう。

古典的医療データと現代的医療データ

伝統的・古典的な医療データと、現代的な医療データで分類してみると、頭の整理がしやすいかもしれない。レセプトデータや電子カルテ、医事会計や処方箋薬局由来データ、DPC、そして日本では未だ活用が十分ではないが専門学会が管理する疾患の登録データなどは、古典的な医療データに分類されるだろう。臨床検査会社の検査データもそうだ。

一方で、他の産業の特にマーケティング分野で活用されているソーシャルメディア由来情報は近代的、現代的といえそうだ。スマホを経由して得られる心拍数、体温、脈拍、睡眠時間や睡眠の質、就寝中の身体を掻く動作などは数年前まで到底入手困難であったが、もはや現実に入手可能となった。遺伝子情報やメタボロームのような変異するタンパク質情報、患者さんの表情や所作、声のトーンなどの画像や音声情報も利用可能性は高まる。医療サービスの不足地域を調べたり、感染症や原発事故の広がりを研究する際にGPS情報やJRスイカ、イコカの情報も利用できるかもしれない。IoT分野から提案されている、マイクロチップの利用可能性として、遠方にて一人暮らしのおばあちゃんの生存を、冷蔵庫の開け閉めや炊飯器の電源オンで確認できるという技術も、生死という最重要なアウトカム情報となる。5年前ではこうした現状が想像もできなかったわけで、であるが故に、恐らくは5年後に活用可能な医療データも想像の域を超えたものとなっていることだろう。