ビッグプロジェクトを率いる
2016年春、国循の新理事長へ

国循へ戻られることになった経緯をお聞かせください。

小川 忘れもしません。東日本大震災が起きる前の2011年1月、前理事長の橋本信夫先生から今からすぐ熊本に行くと電話がかかってきました。翌月2月に橋本先生は単身、熊本大学まで来られ、「国循の心臓血管内科をどう思う。」と聞かれたので、「昔のような輝きがありません」と正直に答えると、「国循に来て心臓血管内科を立て直さないか」と言われました。

このお申し出は非常に嬉しかったのですが、その頃、私は大学でも学会でも一番乗っている時期でしたから、「今は行けません」と言ったところ、「常勤ではなく、熊本大学教授と兼任でもいい。そして全国から良い人材を集めてくれ」という橋本先生の言葉に決心がつき、「行きます」と即答していました。すると、今度は橋本先生が驚いて、「そんなに簡単に決断していいのか」と慌てられたことを覚えています。

実際に国循に来られたのはいつからですか。

小川 2011年4月からです。熊本大学循環器内科教授と兼任しながらの期間は5年ほど続き、専任になったのは2015年10月です。

2011年は運営や財務、中長期計画等、前年に国循が独法化によって組織の形態が大きく変化した時期で、その過程で様々なことを学ぶことができました。また、国循は2019年に吹田操車場跡地へ移転することが決まりましたが、その前段階で発生する厚労省や吹田市長、国会議員への交渉術を、橋本先生、研究所長の寒川賢治先生からマンツーマンで指導を受けました。

特に、橋本先生にはトップに立つ上での心構えに加え、非常に細かやさが求められる人事について、徹底的に教えていただきました。これは非常に勉強になりました。一般的に医者はこうした交渉が下手で修業する機会もありませんが、私は恵まれていたと思います。

そして、2016年2月、国循の理事長に就任されました。

小川 私で本当に良いのかと思うところはありますが、「もう随分教えたし、これからもサポートする。こんな大きな仕事はもうないぞ。やってみろ」。橋本先生からいただいたこの言葉に感動し、お引き受けすることにしました。

1977年に開設された国循は、2019年3月までに新病院が誕生します。設立以来、初めての移転であり、新病院は50年持続する規模とレベルのものです。50年に一度の移転に関われることは、大きな責任感と共にやり甲斐も感じています。

今、私はこのビッグプロジェクトのために忙殺される日々ですが、こうした仕事はあまり繊細な人には向かない気がします。思い切ってやってみようと決断できなければ、恐らく本人の神経が持たない。私は懸命に考えたことも家に帰れば忘れているほど切り替えが早く、それぐらいでないと続かないように思いますね。

第1回終わり(第2回に続く)