朝7時から夜1時までのレジデント生活
厳しい研修が自分を支える土台に

お話を伺っているだけで、新しい国循に期待が高まります。ところで、お話を小川先生の学生時代に戻しますが、そもそもなぜ循環器を専攻されたのですか。

小川 私が医学生だった時代、心筋梗塞や狭心症の患者数はまだ少数でした。ただし、その頃にはすでに冠動脈造影が導入され、アメリカではこれら疾患が急増してきていました。「日本も今後増えてくるだろうし、この病気は早い」と感じたことが循環器を選んだ理由です。

こう言うと語弊がありますが、循環器疾患は医者の技術が命に直結します。良い医者に診てもらえば助かるし、そうでなければ助からない。そして勝負が早い。エンドステージのがん患者さんを大勢診てきて感じたのは、患う期間が非常に長いことです。今は心不全も長いですが、一般的に心臓病は勝負が早く、医者の技術の差がはっきりわかる。だったら循環器をやってみようと思いました。

国循でのレジデント生活は、いかがでしたか。

小川 本当に人生で一番働きました。今であれば労働基準法違反ですが、私はCCUが好きで日曜でも詰めていました。当時は東京女子医科大学の循環器センターが有名で、その女子医大から来ていたチームの中にいた平盛勝彦先生、土師一夫先生は厳しい指導をしていました。指導医は朝7時に集合してから夜12時半まで院内にいるので、私たちは夜中の1時まで帰れません。その上、2~3日に1回は徹夜で、人と話をしていても食事をしながらでも寝てしまう状態です。そうなると頭を使わなくても体が動くようになり、なんでもできると度胸が据わりました。今なら体がもちませんが、20代ですからなんとかやっていけたと思います。

ただ、そんな生活では子どもが顔を覚えてくれず、一番目の子どもは父親だとわかってくれたものの、二番目は私の顔を忘れてしまって困りました。それでも、この国循で厳しいレジデント生活が経験できたことが嬉しかった。その経験があるからこそ、熊本に戻ってからも厳しいことはあったと思いますが、乗り越えて来られたと思います。

まさに“死ぬほど働いた”レジデント生活が今の小川先生をつくりあげたといえますね。

小川 前述したように、私が熊本大学に戻った年にペーパー試験が始まりましたが、国循の指導医から「試験が始まって大物がいなくなり、小粒になった。君のようなレジデントはいない」と言われたことは、私にとって最大の褒め言葉です。

しかし、今のレジデントでも凄いと思う人はいますし、そんな彼らの力を活かしたいと思います。それから、とにかくスカウトです。全国から学歴を問わず良いと思う人をどんどんスカウトして、新しい国循の力になってもらいたいと考えています。

レジデント時代の人脈が多施設共同研究に活かされたと伺いました。

小川 彼らは今でも良い仲間です。例えば、横浜市立大学附属市民総合医療センター教授の木村一雄先生とは24時間中20時間は一緒に働いていたので、性格などは知り尽くしています。また、京都大学医学部脳神経外科教授を務める宮本享先生とは机が隣同士でした。といっても、2人とも椅子に座ったことがなく、いつも夜中の2時や3時に病院で会うので、お互い「いつ寝ているの」と笑い合ったことがあります。

他にも、脳血管内科が専門で九州医療センター臨床研究センター長を務める岡田靖先生、神経内科が専門で熊本市民病院医長の橋本洋一郎先生も印象深いですね。特に、橋本先生とは心臓内科の病棟でよく会いました。当時から心房細動が原因で発症する脳梗塞や血栓塞栓症の合併症は重要視されていて、脳と心臓、2つの分野を学ぶ研修によって、それぞれの専門家である仲間と出会うことができました。

当時は各専門分野を学ぶこととは別に、たすきがけ研修が行われていたのですか。これは重要なことですね。

小川 今後は国循でもこうした研修ができるよう変えていけたらと思っています。今はより顕著になってきていますが、その頃から心臓病患者が脳梗塞を起こしたり、脳梗塞患者の心臓が悪くなるなど、脳と心臓は非常に密接な関係があります。