名前を言ってはいけないあの人

ハリー・ポッターに登場する「名前を言ってはいけないあの人」こと、敵役のヴォルデモードは、随分とわかりやすい“悪”のメーキャップをしているなと、昨年末にテレビ放送された映画を見ながら今回のテーマであるバイアスのことを考えていた。彼がもしポッターの容姿で、その反対にポッターが彼の容姿であったとしたら、この映画は成立するのか。成立するにしても随分とテイストが変わるだろうな、なんてことを想像してしまう。

その一方で、黄色く小さなミニオンズはと言えば、今やキュートなキャラクターとして人気を博しているが、設定されている彼らの活動は「種別関係なしに最強最悪の主に仕えること」である。人類にしてみると魔法界での悪役よりも、こちらの方がよほど数々の悪事を犯していて罪深い存在にも思えるのだが、見た目の可愛さ故かその設定に眉をしかめたり、嫌われたりということがなぜか起きない。

「バイアス」という言葉はもはや日本語になった感もあり、「偏重」「思い込み」「歪(ゆがみ)」のようなニュアンスで受け止められていると思うが、疫学分野においては実験や観察で発生する偶然誤差(確率誤差)に対比した形で、つまりは「偶然ではない誤差」ということで「系統誤差」という日本語訳が充てられている。偶然誤差であれば2、3のサンプルでは真値とは言い切れなくても、サンプルが100件、1000件と増えればハッキリとその真値が得られた数々の観察結果の真ん中あたりにあることがわかるのだが、系統誤差は最初から的を外しているので何千、何万と値が集まっても真値にはたどり着くことができない。対処するにはまず「バイアスが潜んでいる」可能性に気づけるかどうかであり、疫学を学ぶことでその可能性は向上するだろう。

さて、「悪人顔の人は悪人」という考えは正しいのだろうか。「善人顔の人は善人」だろうか。このような人の認知に関わるバイアスは社会心理学周辺の学問領域で研究がされており、外見等、顕著な特徴に引きずられてしまう心理的効果は認知バイアスの一つである「ハロー効果」として整理される。映画の中だけではなく、実社会においても「ベビーフェイスの人は嘘をつかない人」、「スーツを着ている人はカジュアルな服装の人よりも信用される」といった認知の偏重、バイアスの存在を明らかにした研究もあるらしい。我々がいかに公平で中立に物事をとらえようとしても限界がありそうなことを示唆する話である。

選択バイアス

何らかの医療系研究を行うにしても、理想論ばかりも言っていられない。一体誰をその研究対象とするのか、観察対象とする人(ときにはモノ、動物、集団)を選択する際に「理想論的にいえば観察対象としたかった全ての人」とはどうしても乖離が生じてしまうことが多いだろう。缶詰工場の品質検査のように一定数を無作為な「サンプリング」により取り出し、そのサンプル全てで問題なければ「全体として問題なし」と結論づけるようなことができれば良いのだが、医療系の研究では理想的な無作為サンプリングをすることができるケースは稀で、何らかの「観察しやすい状況の観察対象者」のみが対象となってしまう。

こうした患者群を選択する際に生じてしまう偏重のことを「選択バイアス」という。例えば、アメリカの医療データとして用いられる公的医療保険(メディケア)由来の研究は、全アメリカ国民が含まれている訳ではなく、低所得層世帯や高齢者、障害者、退役軍人等が含まれる割合が多いので、得られた結果をアメリカ国民全体に一般化してとらえようとする際にこうした選択バイアスのことを配慮する必要がある。国内において何らかの医療データを利用しようとする場合も同様で、ある一施設ないし数施設の医療データだけで日本全体を語るには無理が生じることもあろう。

医療データを用いるのではなく、これから研究参加をしてくださる患者さんを対象とした研究をしようとする場合でも選択バイアスの課題は避けて通れない。研究参加への「同意」を確認する際には、「同意する人」と「同意しない人」が均質なのかどうかに思いを馳せる必要がある。容態が悪く、研究参加どうこう言っていられない人を除いてしまえば、「同意する人」は軽症の人に偏重してしまい、得られる結果は医療実態とかけ離れた良好な治療成績となってしまう。患者同意は本来、倫理や権利の側面でこそ議論されるべきであろうが、ときには良い研究を行いたいという“社会正義”に対して、研究そのものを無価値なものにしてしまうという側面もある。

また、医薬品の承認申請で行われる介入研究「無作為化臨床試験」は、ときにその医薬品が承認されたのちに処方されるであろう患者群とは20歳も30歳も平均年齢が異なってしまう場合もあり、こうした選択バイアスの課題が昨今、「医薬品の承認申請にRWD(リアルワールドデータ:臨床現場の実際のデータ)をどうにか活用しよう」という機運を後押ししているようだ。なお、「うちの病院の患者群のことを知りたいだけで、日本全体がどうかを知りたいという訳ではない」ならば、「うちの病院の患者群」全データを対象とした研究にはこうした患者選択時の偏重、「選択バイアス」の問題は生じない。