情報バイアス

容態が悪い人に限って、「そういえば‥」ということで既往歴や過去の処方薬等々を思い出すということも多いだろう。こうした容態による思い出し方の偏重は、「思い出しバイアス」と呼ばれる。小児や妊産婦には綿密な観察をする一方で、見た目の印象が屈強な患者には妊産婦程には注意を払えていないという臨床医もいらっしゃるのではないだろうか。

また、専門性の違いにより精神疾患系や皮膚炎への観察結果も変わるかもしれない。こうしたバイアスは「観察バイアス」「観察者バイアス」として整理される(妊産婦への観察偏重には「妊産婦バイアス」という用語もある)。このような項目の内容や判定に関わるバイアスを「情報バイアス」として総称することがある。特に医療系の研究においては入院患者さんと外来の患者さんをフェアに評価しようとしたときには、その観察タイミング、問診のあり方、医師の専門性等々が様々に“偏重”してしまう可能性があり、いうなれば情報バイアスのオンパレードという状況ともいえるかもしれない。

交絡バイアス

「交絡」については本コラムVol.12「因果と相関」を参照されたい。この交絡の存在に気づかない、気づけないということがあり、その場合のバイアスが「交絡バイアス」だ。研究の結果、例えば「小児は大人の2倍のリスクがある」といった結論づけがされたとしても、実はリスク因子の真犯人は「体重が軽い人」であり、「小児であること」は濡れ衣でしかなく、身体の大きな小児にはリスクが皆無、一方で成人であっても低体重はリスク。そんなこともあるだろう。

「男性が女性の2倍」という結論が、実は喫煙習慣や飲酒、行動様式などによるものということもあり得る訳で、こうした交絡に気づけるかどうかは重要だ。因みに、そもそも「年齢」「性別」は単体としてリスク因子といえるだろうかという視点にも注意を払いたい。表面的な「年齢」のリスクは先の「低体重」であったり、あるいは社会的な行動様式や知力、体力等に全て因数分解してしまえば、常に「年齢はリスクの真犯人に対する交絡でしかない」可能性もある。

性別についても生体としての性差なのか、それとも「男性らしい/女性らしい」立ち振る舞い、行動様式によるものなのか。後者だけで説明可能なのであれば年齢と同様、「性別は常に何らかのリスク因子の交絡でしかない」のかもしれない。

なお、選択バイアス、情報バイアス、交絡の3種をセットで「医療系研究における3大バイアス」と整理されることがある。研究実施から結果の解釈に至るまで、この3種バイアスが入り込んでいないかくれぐれも精査したいところである。

公表バイアス

研究の一つひとつに対する上記3大バイアスの他に、公表バイアスについても注意する必要があるだろう。公表される文書というものは常に読み手が存在してこそ、その存在意義が肯定されるものであり、よって「誰も読む気がしないだろう」文書は世の中に登場することが難しい。然るに、数多の研究成果は想定される読み手、聞き手にとって「興味をそそられる情報」に偏重してしまうのは自然の摂理である。

例えば興味深い2種類の治療選択肢があり、多くの臨床医が「A治療よりB治療の方が後で認可されたので、B治療の方が優れているかな」と認識しているとしよう。これを確認しようとした研究団体が仮に100団体あり、実際に「B治療の方が優れていた」という結果を得たのがわずかに5団体でしかなかったとしたら、その100件の研究結果のうちどの研究団体の結果がより公表されやすいだろうか。

恐らくは差異がみられた5団体の論文が採用される可能性の方が圧倒的に高いだろう。残りの95団体の研究で治療成績に差異がみられなかったという事実は、お蔵入りしてしまうかもしれない。「英語バイアス」という言葉まであり、特に興味をそそられる結果はグローバルに発信するチャンスが増えるので、英訳された研究結果を集めるとそのバイアスがより顕著になるという恐れもある。

疫学分野では一つの研究結果よりも、同じ目的で実施される全ての研究結果を統合して評価する方がエビデンス(証拠)レベルが高いとされるのだが、公表バイアスの存在に思いを傾けると、必ずしもそうとは言い切れないということも多々ある。同じ研究“一派”が同じ方向を向いた研究結果をたくさん公表しているという場合もあるので、むしろ「しっかりした研究デザインで公立性・中立性にも優れる」一つの研究結果の方がマシということもあるだろう。