倫理的である、とは何か

倫理的な人というのは一体どのような人のことを指すのだろう。私自身、はなはだこうした人物像とはかけ離れている自覚はあるのだが、それでも研究の実践をテーマとしてコラムを書く以上、研究実施に関わる倫理について触れない訳にもいかないだろう。「トロッコ問題」というのはご存じだろうか。元々はイギリスの倫理学者が1967年に提示したものだそうだが、ブレーキの効かなくなったトロッコがそのまま直進したのでは少し先の線路で作業をしている5人の作業員が死んでしまう、さて、どうするかという思考実験のことである。主人公である“私”が唯一選べる選択肢は目の前にある線路の切り替えスイッチを動かすより仕方なく、ただ切り替えたとしても今度はそちらの線路で作業をしている1人の作業員が死んでしまう。スイッチを動かすのが“倫理的”なのか、それともそのまま5人の作業員が死んでしまうのを見届けるしかないのか。この問題は哲学者マイケル・サンデル氏がTV番組で取り上げたこともあって読者諸氏も聞いたことがあるかもしれないが、どうやら現代の“倫理観”からするとスイッチを切り替えて死者を1人に留めるという方を選ぶのが大多数だそうである。一方で今度はこの局面を橋の上から主人公である“私”が見ていたとしよう。ここでの選択肢は横にいる恰幅(かっぷく)のよい人を橋ゲタから突き飛ばすか突き飛ばさないかしかない。その人を突き飛ばせば100%、5人の作業員の命は救われるが、その人は確実に死んでしまう。この局面ではその人を突き飛ばさない、とする方が大多数となるという(1人の死で多くの臓器移植待機者を救う、という医学的な問いと類似するという考察もある)。前者では5人を救うために罪の無い1人の命を奪うのに対して、後者は5人を見殺しにして1人の命を奪わない。倫理学は道徳哲学あるいは規範哲学という呼称の哲学分野の学問領域である。哲学一般がそうであるように、倫理学には往々にして合意可能な正解が存在しないという特徴がある。それ故に今回は基本的にどのような倫理上の課題があるかについて列挙することを中心とし、その対策については私見を述べたとしてもそれは誰もが納得できるというものではないということをあらかじめご承知おき頂きたいところである。

個人情報を守る、とは何か

個人情報保護法(「個人情報の保護に関する法律」)が改正されて以降、この法律の名前がズバリであったこともあって、今となっては「個人情報を守る、とは何か」を問うたとき、それは個人情報保護法をはじめとする法規の解釈をするという意味になってしまった感がある。しかしながら今回のテーマである倫理課題の本質に立ち戻るならば、法規制の解釈の前に自身として、社会として、その本質は一体何なのかということを哲学的に(?)考えてみるべきだろう。冒頭に述べた通り倫理学は「正解を提示できない」学問であり、それを逆手にとって持論を述べさせて頂くならば個人情報を守る、とは「プライバシーを守ること+その情報の所有権の整理」で構成されている、というのが私の解釈である。プライバシーと個人情報は類似する概念のためか混乱しがちではあるが、我々が「それはプライバシーの侵害です」と言葉を発するときには、かなり曖昧さが含まれる。例えば年頃の娘さんのいる父親を想定してみよう。娘さんが父親に対して発する「プライバシーの侵害」は恐らく各家庭によってその線引きには差異があることだろう。次に状況を「年頃の息子さん」としたらどうだろう。プライバシー侵害の線引きがまた違ってくるに違いない。さらにいえばそもそも「年頃」という言葉すら曖昧であることにも気づく。より幼少な場合のプライバシーはまた年頃とは違いがある。つまり本質的には守るべきはプライバシーではあっても、社会の共通認識としては曖昧さもあってか、仕方なく代替として「個人情報保護」とした方がまだ揺らぎが狭いので規制に出来そうだ、ということでは無いだろうか。