一方、「情報の所有権」の方は違った意味でややこしい。私の個人情報は確かに私のものではあるものの、例えばコンビニエンスストアの防犯カメラに写った私の映像の所有権はどうだとか、病院が行った種々の医療行為に関する情報については病院にその所有権はないのかだとかという話になる。本コラムの第2回でも触れたように、我々の医療情報が適切に使われてこそ医療が進歩し、次世代にはより優れた医療が提供されるといった社会的な学習ループを思えば医療データの全ては患者個人にのみ所有権があるともいえず、公共財の性質もある。さらにややこしいのはデータというものは一般的な所有物とは違い「完全コピー」が容易であることから、“オリジナル”の概念をもってして規則やルールが定められそうに無い点である。かくして個人情報保護法とは、真に守るべきプライバシーを守り切れず、また、誰の所有物なのか曖昧なまま所有の権利を守らんとする、砂上の楼閣のようにも思える。また、万国共通の正解が無いが故に、欧州ではGDPR(General Data Protection Regulation、EU一般データ保護規則)、アメリカではHIPPA法(Health Insurance Portability and Accountability Act、医療保険の移転と責任に関する法律)と、それぞれ日本の個人情報保護法とは違った法規であるため製薬企業のようにグローバルで商売をしている者にとってはその理解が困難で頭を悩ませている。足下の日本においても単に個人情報保護法だけ理解していればよいというものでもなく、ケースバイケースで法規外であったり、また国立病院、独立行政法人、民間病院、地方自治体の病院とでの規則がそれぞれに違っていたりと複雑怪奇になっており、結果的に後になって「規則違反です」と言われてはかなわないため、産業界では医療データ活用を躊躇する、という残念な状況となっている。

研究参加を選ぶ権利

よく「患者さんの同意をどうするか」という課題を耳にするが、方法論の前にこちらもまずは倫理的にどうなのかというところに立ち戻って考えてみたい。まずは何を同意して頂くのか、そしてそれは何故なのか、ということである。先に述べた「あなたの治療情報を、他の研究目的にも使わせて頂きたいのですが、同意して頂けますか?」という話と、「今般、医学研究を行おうと思うのですが研究参加に同意して頂けますか?」という話は別物である。前者の同意は前述した個人情報の課題といえるだろう。後者については参加意思の話であって、その研究に参加するか否か患者さんに選ぶ権利がないのはひどい仕打ちにも思える(これもまた倫理学の範囲であり「ひどい仕打ち」に明確な根拠は無いのだが)。いずれにせよ同意取得を課題にする際にはくれぐれも何に対する同意なのかを明確にする必要がある。また、「はい、良いですよ」という口頭同意で済むことなのか、それとも文書により「同意します」にチェックして頂くことなのか、さらには署名や捺印まで必要なのか、方法論の妥当性に関して倫理学は正解を示すことが出来そうにないので、法規制やガイドラインを作って社会的な合意をとっておくことが合理的なのだろう。国内では「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」*が文部科学省と厚生労働省の共著として発出されており、法規では無いものの、守るべき共通の規範として読んでおくべきであろう。

さて、私の法的な理解ではあるが、医学系研究においてそれが公衆衛生に資する、社会貢献に資する目的で実施されるのであれば個人情報保護法の外にあってこの法規を気にする必要はない。また、方法論上の課題として、医療データを本来の目的とは異なる用途として医学系の研究に使うことを想定するならば事前の同意取得は物理的に困難である。打開策があるとすれば患者さんの情報が電子データ化される前に「あなたの情報は色んなことに利用されます。もちろん匿名加工はなされます。よろしいですか。」とするのか、あるいは後になって「私のデータ、使われる状況になっているようですけど、それ止めてください」、ということにするのか(オプトアウト)、はたまた「医療データは公共財であることは承知されており、既に“黙示の同意”がなされている」と解釈するのか、といったことが考えられる。繰り返し申し上げるが、倫理学の課題に正解はなく、その拠り所として法規の専門家に意見を仰ぐ必要が生じるだろう。ただし、法規の専門家の間でも法規制の解釈がわかれることがしばしばあり、倫理の本質に関する議論には全く興味を示されず、自身の法規解釈を断固「正解」として押しつけられてしまうことがあるので相談する相手を選ぶ際は注意が必要である。