東京の歩き方

東京の街を歩くことはそれなりの経験とスキルが必要である。縦横無尽に往来する人の流れを縫って人とぶつかり合うことなく目的地に到達するのは、最先端の歩行用ロボットであってもクリアするのが困難なミッションであろう。そしてまた、モバイル技術の進歩がもたらしたスマホの普及は、このミッションをさらに困難にしてしまったようである。画面に目をやりながら道の真ん中を進む人たちがこれ以上増えないことを望んではいるのだが、見通しは明るくなさそうだ。

もちろん、モバイル技術の進歩はマイナス面だけでなく、私たちの生活に様々な利便も提供してくれている。待ち合わせをする際、遅刻しそうになっても先にお詫びの連絡を入れられるし、そもそも集合場所すらアバウトであってもスマホがあればどうにか出会える。さらには、こうしたやりとりの電子ログ情報、移動行為に関するGPS情報などが社会課題を解決するためのデータとなる。医療系の分野でいえば、病気の人がどの病院を受診しているのか、その距離が自宅からどれくらいなのかを分析することで、新たに医療機関を建設するうえで相応しい場所がどこなのかといった課題に対して重要な示唆を与えてくれることだろう。

今回はモバイル技術がもたらした現代社会にあって、それがもたらした間接的、直接的な医療への貢献と、本コラムのテーマである医療データの活用にどのような変化が生まれてきているのか考察してみよう。

距離の短縮効果

モバイル(mobile)は辞書で引くと「動ける、可動性の、機動性のある」とある。コミュニケーションに関する“距離の短縮”に限定するならば必ずしもモバイル技術の登場を待つことなく、固定電話やFAX、前回取り上げたインターネット・テクノロジーを使えば地球の裏側であってもコンタクトは既に可能である。一方、やはり「可動性の」特徴は重要であり、固定された居場所でなくても簡単に連絡を取り合えるようになったというのは大きな変化と言えるだろう。日常のコミュニケーションやビジネスシーンの中ではこれが案外と“便利すぎる”こともあって、何らかのレスポンス要求(例えば「既読」にする等)はストレスとなり、またビジネスシーンでは休日の概念なく継続的に業務遂行を可能にしてしまったという側面もある。一方で、病気の診断や見守りといった面においては有益な面が大きい。遠隔医療、オンライン診療の普及は日本では途上であるものの、特に国土の広いアメリカやオーストラリアでは狭い日本とは違い、医療へのアクセスが困難な遠隔地の患者さんを救うために制度面での実装化促進も早いと聞く。日本での普及も時間の問題だろう。

さて、遠隔診療が従来の問診と比較して、そのやりとりが全て文字、音声、動画といった形で電子化されることは、医療データ活用の視点でみると大きな変化である。一流の医師は患者さんの表情や所作からも病気を洞察するらしく、であるならば、モバイルを介したコミュニケーションによって累積される電子情報は、“非言語”、つまりうまく後進に伝承しにくい一流の医師の洞察力を習得可能でカジュアルなものにする可能性がある。また、心理学分野の研究では、アンケートのような文字による返答では嘘をつけても、声のトーンや発生は嘘をつけない。嘘を見破れることができるとも聞く。であるならば、心理学者による洞察力をアルゴリズム化することで、その患者さんが本当のことを話しているのか、それとも嘘(悪意的なものでなく遠慮や羞恥心に起因する「心配ないです」「大丈夫です」といった種のもの)を見破り、1対1の直接対面よりも、より優れた診断ができる可能性すらある。オンライン診療によって生成される動画や音声が医学系研究に副産物として活用できるという認識が広がれば、患者さんと医療現場の距離が遠いという条件は必須ではなくなり、近距離であってもその活用が促進されるかもしれない。