1960年代から70年代の高度成長期の住宅需要に応えるために、大都市郊外を中心に建設された団地は当時、水洗トイレやガス風呂などが備え付けられた近代住宅として庶民の憧れだった。団塊世代のサラリーマン世帯の多くが厳しい抽選を勝ち抜いて団地に入居した。そして40~50年の時を経て、彼らは高齢期にさしかかり、団地で生まれた子どもたちは成長し、巣立っていった。高齢夫婦だけが団地に残され、中には配偶者を失って一人暮らしをしている人も少なくない。

このように全国の団地では今、少子高齢化が著しく進み、住民の孤立化が深刻な問題となっている。当コラムでも以前、孤立問題に取り組むみさと団地(埼玉県三郷市)や豊四季台団地(千葉県柏市)などのケースを取り上げた。しかし、今回紹介するのは住民の半数近くが65歳以上という状況にもかかわらず、「シニアの楽園」と呼ばれるほど住みやすいと評判の高島平団地(東京都板橋区)である。かつては高層階からの飛び降り自殺が相次ぎ、「自殺の名所」とマスコミで騒がれた高島平団地がなぜ、「シニアの楽園」と呼ばれるようになったのか。その秘密を探るため、同団地を訪ねてみた。

必要な施設が揃っている

都営三田線の高島平駅を出て高島通りを渡ると、周囲約4kmの団地が広がり、その入口付近に東武ストアやピーコックストアがある。ちょうど夕方にさしかかる時間帯だったので、辺りは買い物客で賑わっていた。団地の高齢化率は約49%というだけあって、やはり高齢者の姿が目立つ。高齢客に配慮してか、店の外には椅子が用意されているが、そこで休んでいる買い物客に話を聞いてみた。

1972年に団地がオープンした時から住んでいるという70代の女性は感慨深げにこう話した。
「当時この商店街はデパートみたいに賑やかで、有名ブランドのお店や洋食、中華のレストランなどもありました。週末は子連れの家族であふれ、私もよく娘を連れてきました。今はおじいさん、おばあさんばかりで少し寂しい気がします。でも、この年齢になってあらためてここの住みやすさを実感しています。スーパー、食堂、病院、介護センター、郵便局、銀行、消防署、警察など、生活に必要な施設がほとんど歩いて行ける距離にありますから」。

さらに団地の中へ進むと、「お山の広場」があり、10人くらいの子どもが砂場などで遊んでいた。昔は子どもが多かったこともあり、団地内には子どもが遊べる広場や公園がたくさんある。それに住棟間が広く取られて開放的で、木が多く緑も多いので、散歩しているだけで気分が良くなってくる。

高島平団地には広場や公園、緑が多い

お山の広場の西側には中央商店街があり、青果店や米店、自転車店、パン屋、金物店、喫茶店、家電店、薬局、美容室などが並ぶ。商店街の前にも買い物客が休める椅子が備えられている。そこで座っている人たちにも話を聞いたが、皆さんが足の便の良さをあげた。

都心の会社に長年勤めたという男性(70代)は、「地下鉄の駅まで歩いて5分で、乗って30分くらいで大手町に着く。団地の1番奥に住んでいる人でも歩いて12~13分で駅まで行けます。それに団地の中に商店街が3~4カ所あり、ほとんどの店が揃っています」と話した。

また、週2回歩いて通院しているという80代の女性は、「病院も郵便局も銀行も近くにあって、本当に助かります。これから歩けなくなったら、訪問介護や在宅診療を受けようと思っています」という。在宅診療は通院が難しい人や自宅で最後まで過ごしたいという人などを対象にしているが、この団地周辺には在宅医がそろっている。

中央商店街の前でひと休みする人たち

高島平団地が生活に便利に整備されているのは、最初からそのように設計されたからである。1972年3月の第一次募集で入居し、同5月にタブロイド判のタウン紙「高島平新聞」を創刊した村奈嘉義雄さん(73歳)によれば、高島平の町は昔、田んぼだった。それを日本住宅公団が買い上げ、都市計画に沿って団地を建設したという。

高島平団地と共に歩み、現在までの団地の姿をつぶさに見てきた証人の1人と言われる高島平新聞は、今年で創刊43周年を迎えた。毎月発行される新聞は、高島平に関する情報や記事で埋めつくされている。また、高島平新聞社は約100頁にわたり、地域の施設を紹介した冊子「高島平べんり帳」も発行している。これには地域の公共機関から学校、病院、介護・看護サービス、商店、町会、自治会、サークル団体などの連絡先が載っている。特に驚くのは、住民の交流を促進するコミュニティカフェやサークル団体が多く存在することだ。