背景に長時間過重労働が

厚生労働省によれば、2014年度の介護施設などの職員による高齢者虐待は300件にのぼり、調査を開始した2006年以来、8年連続で最多を更新している。なぜ高齢者虐待は増え続けるのか。

65歳以上の人口の割合が25%を超える「超高齢社会」の日本では、安全で安心して暮らせる終の住処を探す人が急増している。そうした状況の中、比較的安く入居できる特別養護老人ホーム(以下、特養ホーム)はどこも満員で、待機者は全国で50万人を超えている。特養ホームの運営は地方自治体か社会福祉法人に限られ、自治体にとっては財政負担が重いため、増設がなかなか進まない。一方、民間も運営できる有料老人ホームは介護のノウハウが乏しい異業種からの参入も目立ち、どんどん増えている。そのため、職員の教育訓練や行政の指導チェックなどが追いついていない状況なのだ。

しかも介護職は比較的低収入で離職率が高いため、慢性的な人手不足に陥っている。そんな中、一生懸命頑張っている職員は長時間労働を強いられ、疲労やストレスはますます高まる。それが時には入居者への虐待につながっているとの指摘もある。

朝日新聞は川崎の事件の後、「介護現場 虐待生まぬために~老人ホームの夜勤 実態は」(2016年3月2日付)と題し、介護職員の過酷な勤務実態について報じた。この記事の要旨を紹介しよう。

東京都内の特養ホームで働く男性主任(35歳)は午後4時45分に夜勤を開始し、すぐ夕飯の準備に取りかかった。食事が終わると就寝に向けた介助が始まる。寝間着に着替えさせ、オムツ交換や薬の手配。1人ずつ寝かせて、一段落したのは午後10時前だった。夜勤は2時間の仮眠を含めて17時間。午後8時から翌朝7時までは職員2人だけで1フロア47人を担当する。排泄の介助は入居者が寝ている間も続き、オムツ交換は朝まで数時間おきに計4回。その間も職員を呼ぶナースコールの対応に追われる。

主任は「やりがいの多い仕事」と話す一方で、「“人の役に立ちたい”と思って仕事を始めたのに、これだけ時間に追われていると、人の役に立つどころじゃないと感じる職員は多い」とも明かす。国は入居者3人に対し介護職員1人という配置基準を設けているが、この基準でシフトを組むと人手が足りず、この施設でも夜勤は2人態勢にならざるを得ないという。

介護の現場では少人数態勢の夜勤で仮眠がとれなかったり、夜勤と日勤を繰り返したりして生活リズムが崩れ、うつ病など精神的トラブルを抱える職員も少なくないそうだ。

そういえば前述の今井容疑者も警察の取り調べに対し、介護の仕事にストレスを感じていたと説明している。今井容疑者が働いていた施設では、分刻みで職員の作業を定めた「ライン」と呼ばれる業務表が使われていたという。これは入居者の要介護度に応じてトイレや風呂などに必要な時間をパソコンで算出し、介護者の1日のスケジュールを決めるというものだ。合理的な仕組みに見えるが、介護の相手は人なのでプラン通りにいかないことも多く、問題があるようだ。特に、職員全員が「ライン」で働いていると、横のつながりがあまりないので、何か問題が起きても他の職員の助けを呼びにくいと指摘されている。

虐待防止の取り組み

それでは老人ホームや介護施設は職員による虐待を防ぐためにどうすれば良いのか。全国有料老人ホーム協会やサービス付き高齢者向け住宅協会など4団体でつくる「高齢者住まい事業者団体連合会」(以下、高住連)の市原俊男・代表幹事は、各施設の経営者・責任者が率先して虐待防止対策に取り組むことの重要性を説く。

高住連は2015年11月と12月に全国8カ所で、経営者向けの虐待防止研修会を開催した。約2100名が参加し、半数くらいは経営者で、残りは現場のヘルパー・職員だったという。研修会では経営者としての心構えの他、職員の過重労働軽減やコミュニケーション向上、通報義務などについての説明が行なわれた。

市原氏は言う。「経営者が目を光らせることはもちろんですが、現場の職員が虐待に気づいた時にどうするかが重要です。例えば、“あの人の身体にあざができている”と虐待を疑うようなことがあれば、他の職員と情報を共有し、対応を考えなければなりません。もし上司や施設長に虐待の事実を告げても何の対応もしなかったり、あるいはもみ消そうとした場合は、職員は行政に通報する義務があります。そのことは研修会で話しています。加えて、職員が過重労働に陥らないように、職場のストレスチェックに取り組むことも必要です」。

市原氏が繰り返し強調するのは、虐待防止に特効薬はないので施設の責任者が常に呼びかけをして職員の意識を高めていくしかないということだ。さらに虐待を防ぐには入居者の家族の対応も大切である。ある施設では、入居者の家族がセットしたカメラの映像から職員による虐待の事実が判明したという。その家族は恐らく入居者の身体にできたあざなどから虐待を疑い、対策を求めたが、施設側が否定したためにカメラをセットしたのではないかということだ。

入居者の家族は虐待の疑いがあれば、行政に通報することもできる。家族から通報を受ければ、行政も施設への立ち入り検査をやらざるを得ないのではないか。

最近、老人ホームや介護施設などの立ち入り検査についての方針が変更された。厚生労働省は2016年3月初め、虐待の急増に対応するため、施設側への立ち入り検査(指導)を抜き打ちで行うことを可能にする新方針を発表した。それまで事前に通告してから実施していたため、施設で入居者の身体拘束などが日常的に行なわれていたとしても、それを把握するのは難しかった。しかし、新方針によって検査の有効性が高まるのではないかと期待が高まっている。一方、検査を担当する職員不足(各自治体の)も深刻なため、効果は不透明だとする見方もあるが、行政がようやく重い腰を上げたことは評価できる。