下流に転落すれば公的支援がある

米国では、特に医療と介護に関しては下流老人よりも中流老人の方が大変だ。貧困層は公的医療扶助の「メディケイド」を使えば医療と介護をほとんど無料で受けられるが、中流層は自分で民間保険に入るか、職場で保険にかけてもらわなければならない。契約内容にもよるが民間保険はカバーされない部分が多く、重病で高度の医療を受けたり、治療が長引いたりすると費用が高額になってしまう。

実際、中流層の中には保険をかけていたのに医療費の支払いで資産を失ってしまったという人は珍しくない。サンフランシスコの貧困地区に住む白人男性のラリーさん(仮名 68歳)もその1人だ。

彼は証券会社で十数年働いた後、自分で株取引をやって大儲けをし、60万ドル(約6600万円)くらい貯金を持っていた。しかし、50歳を過ぎて心臓病と糖尿病を長く患い、医者と保険会社の言われるまま治療を受け続けた結果、貯金を全て使い果たしてしまったという。

そして彼はアパートを追い出され、貧困地区にある「SRO」と呼ばれる独居者専用住宅に移った。SROは連邦都市住宅開発省(HUD)がホームレスや低所得者などに「最低限の住まい」を提供する目的で行っている支援プログラムだが、最低限というだけあって、20㎡くらいしかない狭い部屋でトイレ、シャワーは共用だ。ありがたいのは400ドルという安い家賃で住めることである。

彼は貯金を全て失い、月980ドルの年金収入だけになり、貧困層に転落した。それ自体は悲しいことだが、逆にそれによって得たものもあるという。政府支援の安い住宅に住めることと、メディケイドによって無料で医療を受けられるようになったことだ。

メディケイドは連邦政府と州政府が共同運営する公的医療扶助で、収入や資産が少ない低所得者や高齢者、障害者などに医療費を援助する制度だ。医療保険ではなく医療扶助なので、利用者は保険料を払う必要はない。受給資格は貧困レベルの収入・資産しかない人に限られ、所得レベルによって診療費・薬代が全額無料になったり、一部自己負担になったりする。

ラリーさんは貧困レベルの収入しかないので、糖尿病の診療は薬代を含めほとんど無料で受けている。しかもこれからもっと歳をとって体が不自由になれば、公的在宅支援サービス(IHSS)や介護サービスも無料で受けられる。

アルツハイマー病の夫の介護費用を心配するミドリさん(前出)が、「下流層は様々な公的支援を受けられるが、中流層は自分の資産を全て使い果たさないと受けられない」と嘆いていたが、まさにその通りなのだ。

しかし、ここで、よく考えていただきたい。貯金や家を失って下流に転落した人が最低限の支援を受けられる体制(真のセーフティネット)が整っているということは、中流老人にとっても下流老人にとっても大きな意味を持つのではないかと私は思う。

どんなに真面目に働いて年金保険料を納め、老後の生活資金の準備をしたとしても、長い人生の中で何が起こるか、どんな不幸に襲われるかわからない。不慮の事故や病気で老後の資金を使い果たしてしまうかもしれない。そうなった時に心の拠り所となる「真のセーフティネット」があれば、精神的に追いつめられてうつ病になったり、自殺したり、家賃が払えずにコンビニ強盗をしたりというような事は起きないだろう。

日本には皆保険や公的介護保険があるにもかかわらず、下流老人や下流に転落しそうな人の多くが生活苦の不安やストレスで追いつめられてしまっている。それはなぜかと言えば、人間として最低限の生活を保障するための「真のセーフティネット」が十分に整っていないからではないのか。私は今回の取材を通し、セーフティネットの大切さを改めて考えさせられた。