「貧困大国」を変えた社会保障法

米国と言えば「弱肉強食の市場主義」のイメージが強いが、実は貧困に転落した人たちが手厚い公的支援を受けられる体制が整っているのである。

貧困問題は市場の力と個人の自助努力で解決すべきだとする米国社会を大きく変えたのは、1929年に起きた「大恐慌」だ。ウォール街の株価が大暴落し、企業倒産が相次ぎ、街には失業者が溢れた。多くの国民が家や財産を失い、路頭に迷った。その結果、公的支援や社会保障の大切さを思い知らされ、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領(民主党)に社会保障制度をつくるように求めた。大統領は国民の期待に応え、1935年に「社会保障法」(SSA)の立法化を議会に求め、成立させたのである。

SSAは退職者に老後の生活費を支給する公的年金制度「老齢・遺族・障害年金」(OASDI)を発足させ、また、低所得高齢者への様々な公的支援の道を開いた。

しかし、市場の力と自助努力を優先した「小さな政府」を掲げる共和党は、ルーズベルト大統領の社会保障推進政策に強く反対した。それ以来、米国では社会保障や福祉のあり方をめぐり、民主党と共和党が激しく対立する構造が続いている。 

1960年代に入ると、民主党のリンドン・ジョンソン大統領が「偉大な社会」を掲げ、人種差別撤廃をうたった公民権法を成立させ、貧困対策として低所得者への公的支援を充実させた。1965年には「アメリカ高齢者法」(OAA)が制定され、同時に65歳以上の高齢者向けの公的医療保険「メディケア」と、低所得者向けの公的医療扶助「メディケイド」が創設された。また、OAAの制定によって、体が不自由な高齢者および高齢者世帯に温かい食事を配達する「ミールズ・オン・ホィールズ」(MOW)や、無料の「公的在宅支援サービス」(IHSS)などのプログラムが導入された。

残念ながら、これらの低所得高齢者向けの公的支援については日本ではあまり知られていない。それはなぜか。ある社会保障の専門家によれば、「社会保障・福祉の研究対象としては欧州諸国に目を向ける人が多い。米国は“市場主義で、福祉の国ではない”という先入観が強いため、最初から研究対象としない」のだという。米国の社会保障制度についてはあまり研究対象にならないため、メディアも積極的に報道することはなく、結果的に人々に伝えられていないということだ。

『日本より幸せなアメリカの下流老人』
9月13日に発売された『日本より幸せなアメリカの下流老人』(朝日新書)

一方で、「米国は弱肉強食の市場主義だ」「低所得者や弱者に冷たい」という論調の報道が溢れている。日本で多くの不満を抱えながら暮らしている人たちは、これらの報道に触れて、「米国は日本よりもひどい」と溜飲を下げることができる。だから、この種の報道はそれなりに人気があり、いつまでも減らないのではないかと思う。

しかし、これまで述べたように高齢者の貧困に関しては、「米国は日本よりもひどい」ということは全く当てはまらない。日本では無年金者が約100万人、月5万円程度の年金収入しかない低年金者が約850万人もいるにもかかわらず、生活保護のハードルが高くてなかなか受給できない。生活保護が低所得高齢者の「セーフティネット」としての役割を果たしていない、そのことが最大の問題なのだ。

『日本より幸せなアメリカの下流老人』
その実態を知れば、日本の高齢者の貧困対策の欠陥が浮き彫りになるだろう。その上で政府が実効性のある対策を講じれば、下流に転落した高齢者も人間として幸せに暮らせる道を見つけることができるのではないか。本書はそれを実現するための具体策を提案している。