問題解決に導かない部品医療

心不全治療は難しいといわれる一方で、治療は簡単だという医師もいます。なぜ、正反対の見方があるのでしょうか。

猪又 そのような現状こそが、心不全治療の問題点を象徴しています。治療が簡単だと見なすのは、部品医療を行っている場合かもしれません。心臓をある機械と見立てましょう。様々な部品から成り立つ機械では、決定的に重要な部品もあれば、それほどでもない部品もあります。さらに、心臓全体としてポンプ機能を正常に果たすためには、部品全体が協調して動く必要があります。

心不全とは、心臓のポンプ機能がうまく働かない状態を意味します。不調の原因は、ケースバイケースです。問題を解決するためには、まず全体像を把握した上で、どこを治せばより正常に動くのかをまず見極める必要があります。これが包括的心不全管理の基本です。

仮に故障している部品を見つけて、その部分だけを修理しても、全体としてうまく動くかどうかはわかりません。ところが、現状の医療報酬制度では、とりあえず部品だけでも治せば対価が支払われる仕組みになっています。その結果、現在の医療制度上は治療が成立しているにもかかわらず、心不全患者さんの状態は良くなっていない事態が起こり得るのです。

医療が成立しているのに、患者は治っていないのですか。

猪又 1点介入を施されただけで問題解決へと導かない治療展開があるとすれば、それは本末転倒と言わざるを得ません。心不全の患者さんには、病態を包括的に捉えた管理がまず必要です。求められるのは適材適所の考え方で、薬、手術、機械などの中から最適な手法が採用されるべきで、チーム医療が求められる場合もあるでしょう。しかし、残念なことですが、必ずしも現状はそうなっているとは限りません。

なぜ、包括的な心不全管理が行われないのですか。

猪又 部品医療の場合、ときに高度なテクニックが求められるとしても、そもそも守備範囲が狭いので、作業としてのバリエーションは比較的限定されます。一方、脚本書きの作業とも言える包括管理では、ばらつきの大きい病態を俯瞰的に捉えた上で、全体として最適となる施策を打たねばならず、莫大な広がりをもつ作業です。深い洞察力が必要で、その実践には修練が必要です。しかし、現行の医療報酬制度はこのようなスキルを適正に評価しておらず、普及の妨げになっているように思います。

心不全で重要な「線の医療」

心不全をステージAからステージDに分類する考え方が打ち出されています。

猪又 心不全はある日突然起こるものではなく、単にリスクを持っているだけの段階、心臓の構造的に問題はあるものの症状としては現れていない段階、そして発症した段階から重症化して、もはや手の施しようがない段階へと進んでいく-時間軸という世界を持った病態です。私はこれまでに、「こげつき心不全」たるステージDの患者さんを数多く診てきました。その際にいつも感じたのは、ここに到るまでに長い年月が経っているはずで、なぜもっと早い時点で医療介入できなかったのかという悔しさでした。早期介入により、患者さんの人生は全く違ったものとなっていたかもしれません。重症患者、終末期患者を多数診ていたがゆえに、予防医療の大切さを身にしみて感じました。心不全診療では、できる限り早い段階で適切にアプローチすることが最も重要なのです。

予防の大切さといえば、ステージAでの対応でしょうか。

猪又 その重要性を否定するつもりはありません。ただし、ステージAとは高血圧や太り過ぎなど生活習慣病が主であるため、テレビ番組やときに眉唾ものの民間療法に至るまで玉石混淆の情報があふれ返っています。むしろ気がかりなのは、その裏側で多くのステージBが見逃されている事実です。

ステージBは、すでに心臓に何らかの疾患を抱えている段階ですね。

猪又 例えば、心筋梗塞を起こしたけれど、「点の医療」として冠動脈を治した現時点では何の症状も来していない人たちです。あるいは、高血圧のみとして管理されている患者さんが、はたして高血圧だけでとどまっているのかという場合もあるでしょう。外部から相談を受ける私の立場から見ると、このステージBの心不全患者さんの紹介があまりに少ないのです。患者さんはもちろん、かかりつけ医の先生方にも、ステージBの重要性が認識されていないためと思います。時間軸で考える心不全の「線の医療」において、ステージBから治療を加えた場合と、ステージC やDとして症状が出てから初めて手を下した患者さんとでは、その後の転帰は全く別物です。